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 今日6月19日は太宰治生誕110年だ。節目の年であるため、各地の太宰治ゆかりの地では盛り上がりを見せている。私もどこをまわろうか先月から悩み楽しみにしていたが、数週間前に会社からどうしても出勤してくれと言われ前後が仕事になってしまったので、やむを得ず近場をまわることにした。
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 船橋の老舗旅館『割烹旅館玉川』に、太宰治生誕110年を記念して文学碑が建立されたとの情報を知り、今回はそちらを訪れることにした。
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 太宰治は昭和10年(1935)7月から翌年10月までの約1年4カ月間を船橋町に住んだ。この期間のうちの20日間、玉川旅館の「桔梗の間」に宿泊したという。
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 文学碑は市民団体「船橋太宰会」が建てた。石碑の形状は、太宰の有名作品『斜陽』『人間失格』等のイメージを込めて、「人」の文字となっている。左側には、太宰が船橋時代に書いた『ダス・ゲマイネ』の冒頭部分にある『当時、私には一日一日が晩年であった。』の一文が刻まれている。右側には、『太宰治生誕百十周年記念「ダス・ゲマイネ」より』とある。
 これで少しでも船橋が太宰のゆかりの地として貴重な場所なのだということを多くの人に知ってもらいたいと願うが、ただ、太宰の船橋時代、太宰が玉川旅館に泊まったのが昭和10年7月から昭和11年10月までのいつのことなのか、なぜ妻や訪問客等がいたのに、書籍等になんの記載も残っていないのか、私にはいまだ疑問が若干残っている。宿賃を払えなかった太宰は、代わりに万年筆や辞書などを置いていったそうだが、その後の火事で焼失してないという。
 しかし真相は別として、太宰聖地巡りスポットとして、これからの若い人たちの太宰に興味を持つきっかけなどになってくれればいいと期待している。


by dazaiosamuh | 2019-06-19 17:22 | 太宰治 | Comments(0)

 今日6月13日は太宰治の命日だ。71年前の今日、太宰治と山崎富栄は夜半、三鷹・玉川上水に入水心中し果てた。
 今日はちょうど仕事が休みで、天気も良く墓参りに行きやすい。太宰が歓迎してくれているような気がして勝手に嬉しく、三鷹でレンタサイクルを借り、颯爽と太宰の眠る禅林寺へとペダルをこいだ。
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 禅林寺の墓所は午前8時から入ることができるが、私が到着したのは午前9時ちょっと前で、すでに太宰の好きだったゴールデンバットと缶コーヒーが置かれていた。私はいつも通り持参したサクランボをお供えし、太宰と一緒にバットを吸った。生誕110年。太宰が生きていたら110歳。さすがに110歳の太宰は想像できないな、などと思いながら、静かに墓を見つめているうちに、いつの間にか慣れないはずのバットを数本吸っていた。美知子夫人にも御挨拶を済ませ、山崎富栄のお墓へ向かいました。
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 山崎富栄のお墓は、江戸川橋駅から徒歩5、6分の永泉寺にある。太宰にも食べてもらった同じサクランボをお供えする。静かにひっそりと眠っている。墓石には富栄だけ命日である日付が刻まれていない。富栄が亡くなった当時、父・山崎晴弘は、娘が世間を騒がせて申し訳ない、津島家にご迷惑をおかけして申し訳ない、という責任を強く感じていた。富栄の死後、長年の間富栄の墓所が分からなかったのは、父・晴弘が永泉寺の住職に、世間には言わないようにお願いしていたからだ。山崎家も相当辛い思いであったことだろう。これらの色々な事情があり、富栄だけ命日を入れなかったのだと思われる。
 富栄のお墓参りに来るたびに、なんだか胸がしめつけられる。太宰には美知子夫人がいるが、それでも天国で仲良くやっていればいいなと思う。


by dazaiosamuh | 2019-06-13 15:38 | 太宰治 | Comments(0)

 太宰治生誕110年記念ということで、太宰にゆかりのある各地でそれぞれ記念展が開かれている。弘前も当然その一つで、弘前市立郷土文学館では、『太宰治と弘前』とスポット企画展として『今官一と太宰治の交流』の二つの企画展がある。
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『太宰治と弘前』では、官立弘前高等学校時代に藤田家に下宿生活していた際に使用していた太宰愛用の電気スタンドや、現在確認されている太宰治の最も古いとされている藤田家宛の手紙などをみることができる。藤田家での下宿生活で使用していた電気スタンドは、以前にも私は東京・三鷹での企画展で見た事があるので今回また見る機会を得て嬉しく思った。
 今官一は太宰治と同じ明治42年(1909)生れで、生涯の友であった。『桜桃忌』の命名者でもある今官一と太宰治の交流と深い絆を、この企画展であらためて感じることができる。
 太宰治生誕110年記念展『太宰治と弘前』は、今年の12月28日までとなっているが、『今官一と太宰治の交流』は、6月20日までとなっているので、興味のある方はお早めに!!6月19日には芦野公園で生誕祭もあるのでこれを機に参加してみるのもいいかもしれません。


by dazaiosamuh | 2019-06-08 20:09 | 太宰治 | Comments(0)

 26日、走れメロスマラソンに出場し無事に完走してきました。(といっても5㎞)
 前日25日に弘前を歩き、翌26日に弘前からJR五能線に乗り、五所川原駅で津軽鉄道に乗り換えて金木へ向かいました。
 早めに到着したため、会場である金木小学校は準備に追われている最中で、忙しく準備をするスタッフを尻目に更衣室へ向かい準備を整える。着替えてゼッケンやランナーズチップを装着したり、準備体操などしているうちにぞくぞくとランナー達が集まって来て、9時過ぎに開会式が始まり、まず最初に10時より10㎞の部がスタート。
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 気温30度超えという暑さのため、10㎞ランナー達のスタートを見届けている間に、すでに全身汗だく状態となる。この暑さのなか、スタート前にグラウンドを走って体を慣らすランナー達がいたが、とてもそんな気にはなれず日陰で休む。開会式で来賓のある方が、今日は非常に気温が高いため、無理をせず、ダメだと思ったらメロスのように勇気をもって辞退してくださいと呼びかけていたのが印象的であった。
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 写真は5㎞の部スタート直前。
 そうしているうちにいよいよ5㎞の部が10時20分よりスタート。実はこの時点ですでに喉が少し乾いており、若干の不安があった。さらに40分ほど前に会場の出店ブースで工藤パン屋の太宰治生誕110年記念パンの『人間失格 カステラサンド イギリストースト風』を食べたせいで胸やけがしないでもない。それでも走りだしたら思っていたよりも喉の渇きもなく胸やけもおさまったが、今度はウェストポーチの揺れが酷く、邪魔でしょうがなかった。ポーチにはデジカメ、携帯電話、小銭を入れていたが、上下に揺れるわ横にズレてくるわ小銭はチャリンチャリンうるさいわで走ることに集中できなかった。練習では一度もポーチをつけたことがなかったため、試しておけばよかったと走りながら後悔したが後の祭。最初は手で押さえながら走っていたが、途中、やけくそになり揺れを気にせず無視して走る事にした。3㎞ぐらいまでこんなくだらない格闘を一人でやり、ようやく調子がでてきて、一人、二人と抜いていき、ゴールしたら5㎞男子39歳以下の部で41人中15位以内に入ることができ、無事、走り切ることができた。
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 写真は会場準備中の時。
 走っていて心強かったのは、沿道で応援してくれる地元の人々の心からの声援で、無事にゴールできたのも地元の人々のおかげだと思います。「ガンバレー!」「もう少しでゴールだ!」これが一番の励みでした。
れだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題ではないのだ。人の命も問題ではないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。』(走れメロス)
 走っている時、地元の人のなかには自宅の庭の水道管にホースをつないで、走るランナーにシャワーをかけてくれた人もいました。太宰の故郷なだけあって、この走れメロスマラソンには地元の人々も協力的で、メロス愛、太宰治愛を感じました。
 ゴール後に無料で配られたシジミ汁が疲れた身体に沁みて美味しかった。完走証も貰うことができ良い記念になりました。

 今回、気温が30度を超える中(青森の最高気温は33度だったようです)、無事に目標である完走を達成することができました。今回の反省などをふまえて、これからもできるかぎり毎年『走れメロスマラソン』に参加していきたいと思います。


by dazaiosamuh | 2019-05-27 17:50 | 太宰治 | Comments(2)

 先週、ついに第8回走れメロスマラソンのゼッケンやランナーズチップ等が自宅に届いた。まえにも話したとおり、マラソン大会は初めてのため、ゼッケンを手にしたときはなんだか胸の鼓動を感じ、いよいよかという思いであった。
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 冊子には太宰治の孫で衆議院議員の津島淳氏の祝辞も載っている。津島淳氏は走れメロスマラソン名誉大会長でもあり、『生誕110年となる、私の祖父、太宰治はこの地に生を受け、この地の風土・食に育てられました。太宰治の作品に、津軽の地は多く登場し、作風にもこの地の風土が影響を与えております。この機会に津軽各地にあります、太宰治ゆかりの地をぜひ訪れていただき、津軽の魅力を堪能していただければ幸いです。』 と述べている。
 私は膝を痛めたのもあり、とりあえずタイム関係なしに完走が目標なので、あまり力まず、津軽の風を全身に受け、新鮮な空気をいっぱい吸って気持ちよくゴールできればいいなと思っています。
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 写真は、参加賞のショルダー袋とハンカチタオル。ショルダー袋は着替えを入れたりするのに使って、ハンカチタオルは仕事で使おうかな。
 冊子には、出場者の氏名が掲載されている。私の名前もしっかり載っていた。他にも第6、7回の走れメロスマラソンの優勝者の名前とタイムが載っていたが、完走できればそれで良いと思っていても、優勝者の記録を見ると、こんなに自分と差があるのかとちょっと気持ちが萎縮してしまいそうになる。
 膝、腰に気をつけて、少しずつ自分もこれからタイムを縮めて行きたいと思います。まずは初めてのこの『第8回 走れメロスマラソン』(5月26日)を無事に完走します!


by dazaiosamuh | 2019-05-15 12:24 | 太宰治 | Comments(0)

 群馬県の旧吉井町(高崎市吉井町)の町長を務めた医師、故斉藤達也さん(1897~1981)が愛用した聖書に、太宰治の肉筆が残されていることが先月25までに分かった。

 太宰の肉筆が残されていた聖書は、黒崎幸吉編『新約聖書略註 全』(1934年、日英堂書店刊)で、書き込みは「T.SAITO」と著名の入った見返しに二つあり、一つは墨書で『かりそめの 人のなさけの身にしみて まなこ うるむも 老いの はじめや 治』
 これは『HUMAN LOST』にも同じ歌が収められている。
 もう一つは、その墨書の下に『聖書送つて よこす奥さんが あれば僕もも少し 笑顔の似合ふ顔に成れるのだけれど 太宰治』とこちらは黒ペンで記されていたという。

 では、なぜ斉藤達也さんの聖書に太宰治の肉筆があったかというと、太宰は昭和11年(1936)10月、太宰のパビナール中毒を心配した北方四郎、中畑慶吉、井伏鱒二、妻・小山初代らの説得によって、東京・板橋区の武蔵野病院に入院することとなった。太宰がちょうど入院しているときに、斉藤達也さんも、胃炎と不眠症による鎮痛剤中毒の治療でこの東京武蔵野病院に入院しており、この時に太宰に貸した聖書であった。太宰は退院後、『入院中はバイブルだけ読んでゐた』と書き残していることから、この聖書を借りて読んでいた可能性が高い。

 聖書は、斎藤さんの三女が家族の勧めで神奈川近代文学館に寄贈した。
 太宰治と聖書は切っても切り離すことのできない繋がりがあり、太宰の人生、作品に大きな影響を与えた。この新資料発見により、今後さらに太宰研究が進むことが期待される。
 神奈川近代文学館では、昨年12月から今年1月に行われた公開展示で、来館者、太宰の研究者から大きな反響を受けたという。
 私も早くその太宰の肉筆が書かれた聖書をこの目で見てみたい。太宰と聖書の密接な関係について、今後の進展に期待です。


by dazaiosamuh | 2019-05-01 20:14 | 太宰治 | Comments(0)

 太宰治の『お伽草紙』の直筆原稿が発見されたのはついこの前のことであったが、今度は、太宰が20代で出した最初の創作集『晩年』の献呈本で、芥川賞・直木賞の創設に関わり文芸春秋新社社長も務めた佐佐木茂索に宛てた直筆の献辞入りの単行本が見つかった。
 Webから一部引用させてもらうと、
『佐々木茂索が大正15年に文芸誌に発表した短編「竹植えて」に絡めて「『竹植ゑて。』の作者へ」と明記。その上で、「朝、床の中、タオルで足を拭ふこと、当時、われ、中学生、よき妻むかえ、われも、と、ははは、いまは? 答えて”may be”」と英語交じりのくだけた文章がつづられている。
 「晩年」の献呈本はこれまでもいくつか見つかっている。ただ、献辞は当事者にしか分からない皮肉やユーモアを含んだ趣向を凝らした文面が多く、今回は「とくに意味がつかみがたい」という。』

 今回発見された『晩年』の献呈本は、今月27日から山梨県立文学館で開催される、『太宰治 生誕110年 作家をめぐる物語』展で初公開される。
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 山梨県立文学館は、開館30周年を迎えるということで、記念特別展として今年の太宰生誕110年とも合わせて、この『太宰治 生誕110年 作家をめぐる物語』を開催される。今回の『晩年』の献呈本は、同文学館が個人が所蔵しているのを確認し、公開の運びとなった。
 開催期間は、今月27日~6月23日までとなっている。


by dazaiosamuh | 2019-04-26 16:47 | 太宰治 | Comments(6)

 本日5日、太宰治の短編集作品『お伽草紙』の全編が全て揃った完全直筆原稿が発見されたと日本近代文学館より発表された。これは太宰が戦時中に執筆した、研究者のみならず一般読者のあいだでも非常に評価の高い中期の代表作で、発見された原稿は400字詰め原稿用紙を半分に切った200字詰めで計387枚。個人が所蔵していたらしく、筆跡などかから太宰の直筆と特定され、しかも内容から下書きなどではなく、最終稿!!
 まさか『お伽草紙』の完全直筆原稿が発見されるとは思ってませんでした。私は太宰の作品の中でも『お伽草紙』は上位に入るほど好きな作品。生誕110年にこのような発表が入り非常に嬉しく興奮します。
 この『お伽草紙』完全直筆原稿は、明日6日から日本近代文学館での特別展『生誕110年 太宰治創作の舞台裏』で公開されるという。
 これは絶対に行かなくては!!

by dazaiosamuh | 2019-04-05 17:15 | 太宰治 | Comments(2)

 先月、久しぶりに船橋の太宰治旧宅跡を訪れた。なぜか無性に行きたくなったのだ。船橋駅で降りて、記憶を頼りに進んで行く。はじめて訪れたときは、道に迷いながらで随分と時間が掛かった記憶があるが、今回はすんなりと到着することができた。
 到着してみると、なぜか違和感を感じる。普通に太宰治旧宅跡の石碑と案内板がある。石碑と案内板が普通に建ててあるなんて、そりゃ当たりまじゃないかと思うかもしれないが、たしか太宰と全く関係のない人家の外壁沿いにあり、しかも目の前には車が停まっていたはず。よく見ると、家が新しくなっている。どうやら建て直しに伴い、石碑の場所が変わったようだ。ここを初めて訪れたのは平成26年(2014)3月で、同月12日付の記事で写真も載せているので、写真を比較してみてほしい。
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 写真が以前の旧宅跡です。家の外壁沿いに窮屈そうに石碑が建っているのが分かると思います。車が停まっていると綺麗に真正面から写真を撮ることができません。
案内板には、
太宰治 旧居跡
太宰治は、昭和十年七月から一年三月余、旧船橋町五日市本宿に住んだ。この間、「ダス・ゲマイネ」「めくら草紙」「虚構に春」などの名作を世に送った。
 この旧居跡には、太宰が植えた夾竹桃があったが、今は中央公民館前広場の文学碑のそばに移され、毎年美しい花をつけている。船橋は、太宰文学の飛躍の地であるとともに、生涯の中できわめてゆかりの深い土地の一つである。船橋市教育委員会』とある。
 そして新たに場所を変更して建て直されたのが下の写真です。
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 太宰治旧宅跡の石碑は同じですが、案内板は平成29年とあり新しくなっていました。
太宰治旧宅跡
太宰治は、短い期間ですが船橋で生活していました。昭和10年(1935)7月、26歳の時に、東葛飾郡船橋町五日市本宿一九二八(現、宮本一丁目12-9)の新築の借家に移り住みました。この頃の太宰は、大学に落第し、自殺未遂を起こし、さらに、4月には盲腸炎をこじらせ腹膜炎となり、その鎮痛剤パビナールによる中毒に陥っていました。療養のための船橋移住でした。この時、旧制弘前高等学校時代に知り合った妻の初代も一緒でした。療養のための移住でしたが、パビナール中毒を断つことができず、症状の悪化を心配した家族が、井伏鱒二に説得を依頼し、昭和11年10月に東京の病院へ移ることとなりました。船橋移住の間、「ダス・ゲマイネ」「めくら草紙」「虚構の春」などの名作を世に送りました。後に、著書『十五年間』に「私には千葉船橋町の家が最も愛着が深かった。」と記されているように、度々居所を変えた太宰にとって、船橋が特に思い出深い土地であったことが窺えます。
 平成29年10月 船橋市教育委員会

 説明がより詳しく親切になっている。私が嬉しく思った事は、案内板に英語訳も新たに記載されていたことだ。この船橋の太宰治旧宅跡は、駅から徒歩10分~15分ほど離れた住宅地の中にある。わざわざ英語訳を載せたのは、これはつまり、年々海外の太宰ファンが増えている、太宰のゆかりの地を訪れる外国人観光客が増えていることを意味している。そういえば漫画、文豪ストレイドッグスの影響で銀座のバー・ルパンに、海外から外国人の女の子が一人で来ている姿を何度も目にしている。
 今年の太宰治生誕110年と相まって、各地の太宰ゆかりの地は賑わいそうでいいですね。


by dazaiosamuh | 2019-04-04 07:47 | 太宰治 | Comments(2)

 2018年も最後となった。今年は今までで一番太宰治の聖地めぐりや記事を書くのが捗らなかった。捗らないというよりも、単に細かいところをのぞけば、7,8割は歩いてしまっているので、残りをまわりきるのがもったいない、というのが正直な思いで、そのため敢えてゆかりの地を歩かなかったのである。(過去に歩いたがそれも敢えてまだ記事にしていないのもある)
 来年は、太宰治生誕110年ということでまだ歩いていないゆかりの地を歩こうと思う。

 さて、今日で2018年も終わりますが、来年は太宰以外にも何かしたいなと思っていて、実は前々から自分の字の汚さ、醜さには辟易していました。そこでちょっとしたことではあるが、綺麗な字で書けるように、ここは一つ来年は字の練習でもしようと思い、わざわざ今年最後の日に練習帳を買いに書店に向かいました。

 本棚を端から順に目で追っていくと、悲しいかな、すぐにある文字が目に留まり気付いたら手にとっていました。

『なぞって美文字 書いて味わう 太宰治』
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 すぐに『太宰治』の名前に反応してしまいます。
『読んでなぞって書くだけで美文字に!』
 しかもワンコインです、迷うことなくレジに向かいました。
 そういえば、丁度1年前にも太宰治作品をなぞり書きする本を買っています。あの時は今ほど自分の字を気にしていませんでした。あの時買ったのは、『なぞり書きで楽しむ太宰治』で、『走れメロス』『富嶽百景』『人間失格』『女生徒』『ヴィヨンの妻』『斜陽』『満願』『お伽草紙』『グッド・バイ』の9作品。
 そして今日買ったのも9作品収録で同じ作品は、『女生徒』『走れメロス』『富嶽百景』『斜陽』『人間失格』の5作品で、違うのは、『道化の華』『東京八景』『思い出』『駈込み訴え』の4作品があることです。
 ページ数のボリュームを比較すると少ないが、去年の方はただなぞるだけのものでした。今日買った方は、なぞる行と書き写せる空欄の行があるので実践向けで良い。まえがきにも『みなさんが書き写すのは、太宰の名場面、名文ばかりである。昔は文章修行として、文豪の作品を書き写したものだ。そのことが文章を磨くのにもっとも効果的だったからである。作家の息づかいまで感じとることができる。こんな面白いことはない。』とある。
 書き写すと言えば、ゆかりの地をまわってそれを記事にするときに、太宰治作品や関連作品の文章をただパソコンで打ち込むだけであった。
 今日購入した『なぞって美文字 書いて味わう 太宰治』を終えて少しでも文字に自信が付いたら、自分の好きな太宰作品を全文書き写すことにチャレンジしてみようと思います。文字が綺麗になることと文章力が身に付くことを願って…。(と言っても結局は自分の努力次第ですが)

 小さな目標ではあるが、続けることに意味があるので努力していきたいです。
 そういえば、来年5月の『走れメロスマラソン』に向けた練習は、現在、なぜか走るたびに右膝を必ず痛めてしまうため、10日に一度のペースになっている。いくら休んでも走ると痛めてしまう。骨盤か右足の歪み?が原因だろうか、走り方、フォームが悪いのだろうか。原因が分からない。このままではどうなるものか、原因を発見してなおさないと、まともに練習にならない。

 どうなることやら分かりませんが、来年もよろしくお願いします。よいお年を。


by dazaiosamuh | 2018-12-31 17:50 | 太宰治 | Comments(4)