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 26日、走れメロスマラソンに出場し無事に完走してきました。(といっても5㎞)
 前日25日に弘前を歩き、翌26日に弘前からJR五能線に乗り、五所川原駅で津軽鉄道に乗り換えて金木へ向かいました。
 早めに到着したため、会場である金木小学校は準備に追われている最中で、忙しく準備をするスタッフを尻目に更衣室へ向かい準備を整える。着替えてゼッケンやランナーズチップを装着したり、準備体操などしているうちにぞくぞくとランナー達が集まって来て、9時過ぎに開会式が始まり、まず最初に10時より10㎞の部がスタート。
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 気温30度超えという暑さのため、10㎞ランナー達のスタートを見届けている間に、すでに全身汗だく状態となる。この暑さのなか、スタート前にグラウンドを走って体を慣らすランナー達がいたが、とてもそんな気にはなれず日陰で休む。開会式で来賓のある方が、今日は非常に気温が高いため、無理をせず、ダメだと思ったらメロスのように勇気をもって辞退してくださいと呼びかけていたのが印象的であった。
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 写真は5㎞の部スタート直前。
 そうしているうちにいよいよ5㎞の部が10時20分よりスタート。実はこの時点ですでに喉が少し乾いており、若干の不安があった。さらに40分ほど前に会場の出店ブースで工藤パン屋の太宰治生誕110年記念パンの『人間失格 カステラサンド イギリストースト風』を食べたせいで胸やけがしないでもない。それでも走りだしたら思っていたよりも喉の渇きもなく胸やけもおさまったが、今度はウェストポーチの揺れが酷く、邪魔でしょうがなかった。ポーチにはデジカメ、携帯電話、小銭を入れていたが、上下に揺れるわ横にズレてくるわ小銭はチャリンチャリンうるさいわで走ることに集中できなかった。練習では一度もポーチをつけたことがなかったため、試しておけばよかったと走りながら後悔したが後の祭。最初は手で押さえながら走っていたが、途中、やけくそになり揺れを気にせず無視して走る事にした。3㎞ぐらいまでこんなくだらない格闘を一人でやり、ようやく調子がでてきて、一人、二人と抜いていき、ゴールしたら5㎞男子39歳以下の部で41人中15位以内に入ることができ、無事、走り切ることができた。
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 写真は会場準備中の時。
 走っていて心強かったのは、沿道で応援してくれる地元の人々の心からの声援で、無事にゴールできたのも地元の人々のおかげだと思います。「ガンバレー!」「もう少しでゴールだ!」これが一番の励みでした。
れだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題ではないのだ。人の命も問題ではないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。』(走れメロス)
 走っている時、地元の人のなかには自宅の庭の水道管にホースをつないで、走るランナーにシャワーをかけてくれた人もいました。太宰の故郷なだけあって、この走れメロスマラソンには地元の人々も協力的で、メロス愛、太宰治愛を感じました。
 ゴール後に無料で配られたシジミ汁が疲れた身体に沁みて美味しかった。完走証も貰うことができ良い記念になりました。

 今回、気温が30度を超える中(青森の最高気温は33度だったようです)、無事に目標である完走を達成することができました。今回の反省などをふまえて、これからもできるかぎり毎年『走れメロスマラソン』に参加していきたいと思います。


by dazaiosamuh | 2019-05-27 17:50 | 太宰治 | Comments(2)

 先週、ついに第8回走れメロスマラソンのゼッケンやランナーズチップ等が自宅に届いた。まえにも話したとおり、マラソン大会は初めてのため、ゼッケンを手にしたときはなんだか胸の鼓動を感じ、いよいよかという思いであった。
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 冊子には太宰治の孫で衆議院議員の津島淳氏の祝辞も載っている。津島淳氏は走れメロスマラソン名誉大会長でもあり、『生誕110年となる、私の祖父、太宰治はこの地に生を受け、この地の風土・食に育てられました。太宰治の作品に、津軽の地は多く登場し、作風にもこの地の風土が影響を与えております。この機会に津軽各地にあります、太宰治ゆかりの地をぜひ訪れていただき、津軽の魅力を堪能していただければ幸いです。』 と述べている。
 私は膝を痛めたのもあり、とりあえずタイム関係なしに完走が目標なので、あまり力まず、津軽の風を全身に受け、新鮮な空気をいっぱい吸って気持ちよくゴールできればいいなと思っています。
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 写真は、参加賞のショルダー袋とハンカチタオル。ショルダー袋は着替えを入れたりするのに使って、ハンカチタオルは仕事で使おうかな。
 冊子には、出場者の氏名が掲載されている。私の名前もしっかり載っていた。他にも第6、7回の走れメロスマラソンの優勝者の名前とタイムが載っていたが、完走できればそれで良いと思っていても、優勝者の記録を見ると、こんなに自分と差があるのかとちょっと気持ちが萎縮してしまいそうになる。
 膝、腰に気をつけて、少しずつ自分もこれからタイムを縮めて行きたいと思います。まずは初めてのこの『第8回 走れメロスマラソン』(5月26日)を無事に完走します!


by dazaiosamuh | 2019-05-15 12:24 | 太宰治 | Comments(0)

 群馬県の旧吉井町(高崎市吉井町)の町長を務めた医師、故斉藤達也さん(1897~1981)が愛用した聖書に、太宰治の肉筆が残されていることが先月25までに分かった。

 太宰の肉筆が残されていた聖書は、黒崎幸吉編『新約聖書略註 全』(1934年、日英堂書店刊)で、書き込みは「T.SAITO」と著名の入った見返しに二つあり、一つは墨書で『かりそめの 人のなさけの身にしみて まなこ うるむも 老いの はじめや 治』
 これは『HUMAN LOST』にも同じ歌が収められている。
 もう一つは、その墨書の下に『聖書送つて よこす奥さんが あれば僕もも少し 笑顔の似合ふ顔に成れるのだけれど 太宰治』とこちらは黒ペンで記されていたという。

 では、なぜ斉藤達也さんの聖書に太宰治の肉筆があったかというと、太宰は昭和11年(1936)10月、太宰のパビナール中毒を心配した北方四郎、中畑慶吉、井伏鱒二、妻・小山初代らの説得によって、東京・板橋区の武蔵野病院に入院することとなった。太宰がちょうど入院しているときに、斉藤達也さんも、胃炎と不眠症による鎮痛剤中毒の治療でこの東京武蔵野病院に入院しており、この時に太宰に貸した聖書であった。太宰は退院後、『入院中はバイブルだけ読んでゐた』と書き残していることから、この聖書を借りて読んでいた可能性が高い。

 聖書は、斎藤さんの三女が家族の勧めで神奈川近代文学館に寄贈した。
 太宰治と聖書は切っても切り離すことのできない繋がりがあり、太宰の人生、作品に大きな影響を与えた。この新資料発見により、今後さらに太宰研究が進むことが期待される。
 神奈川近代文学館では、昨年12月から今年1月に行われた公開展示で、来館者、太宰の研究者から大きな反響を受けたという。
 私も早くその太宰の肉筆が書かれた聖書をこの目で見てみたい。太宰と聖書の密接な関係について、今後の進展に期待です。


by dazaiosamuh | 2019-05-01 20:14 | 太宰治 | Comments(0)