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 太宰治の『お伽草紙』の直筆原稿が発見されたのはついこの前のことであったが、今度は、太宰が20代で出した最初の創作集『晩年』の献呈本で、芥川賞・直木賞の創設に関わり文芸春秋新社社長も務めた佐佐木茂索に宛てた直筆の献辞入りの単行本が見つかった。
 Webから一部引用させてもらうと、
『佐々木茂索が大正15年に文芸誌に発表した短編「竹植えて」に絡めて「『竹植ゑて。』の作者へ」と明記。その上で、「朝、床の中、タオルで足を拭ふこと、当時、われ、中学生、よき妻むかえ、われも、と、ははは、いまは? 答えて”may be”」と英語交じりのくだけた文章がつづられている。
 「晩年」の献呈本はこれまでもいくつか見つかっている。ただ、献辞は当事者にしか分からない皮肉やユーモアを含んだ趣向を凝らした文面が多く、今回は「とくに意味がつかみがたい」という。』

 今回発見された『晩年』の献呈本は、今月27日から山梨県立文学館で開催される、『太宰治 生誕110年 作家をめぐる物語』展で初公開される。
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 山梨県立文学館は、開館30周年を迎えるということで、記念特別展として今年の太宰生誕110年とも合わせて、この『太宰治 生誕110年 作家をめぐる物語』を開催される。今回の『晩年』の献呈本は、同文学館が個人が所蔵しているのを確認し、公開の運びとなった。
 開催期間は、今月27日~6月23日までとなっている。


by dazaiosamuh | 2019-04-26 16:47 | 太宰治 | Comments(6)

 先週、新たに発見された太宰治作『お伽草紙』の直筆原稿を見に日本近代文学館へ足を運んだ。今年の生誕110年を記念して、『太宰治 創作の舞台裏』と題して開催されたこの太宰治展は、『太宰治の生涯をたどったり、活動した地域との関係に力点を置くのではなく、あくまでも残された「資料」それ自体に主役になってもらうことに意をそそいで』おり、『今回は思い切って、「資料に見る創作の舞台裏」という一点に焦点を絞ることにした』とのことでした。
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 そういえば日本近代文学館を訪れるのは今回初めてです。平日の昼間ということもあり来館者は少なめ。しかし、文学少女らしき学生服を着た10代の女の子が1人、熱心に顔を近づけて見ていました。
 やはり来館者が時間をかけて食い入るように見ていたのは、言うまでもなく今回初公開となる『お伽草紙』の直筆原稿。
 太宰のよく知られているエピソードに、昭和20年7月、甲府市に焼夷弾が落とされたとき、太宰は長女を背負いながら、机上にあった書きかけの『お伽草紙』の原稿、預かり原稿、創作年表、万年筆、住所録等の大切な品々をまとめて持ち出したという話がある。長女を負いながらこれらを無事に持ち出したのは流石で、のちのちまで自慢の種であったと妻・津島美知子は自身の著書『回想の太宰治』等で太宰について語っている。
 空襲を受けるなかで、太宰が命をかけて守った『お伽草紙』の直筆原稿が発見されたのだ。
 直筆原稿の直し部分をみると、「前書き」で、『猿蟹合戦』を消した跡があった。太宰が猿蟹合戦を書いたらどんな作品になっていたのか、非常に興味深い。原稿の他にも、『瘤取り』のある一節が、初版、再版、異版でそれぞれ異なる部分があり、見比べるのが面白い。

 資料の数はそれほど多いわけではないが、内容が実に濃く貴重な一級資料を見ることができた。この日本近代文学館『太宰治 創作の舞台裏』は6月22日(土)までとなっている。太宰治生誕110年なので、ぜひ色々な人に見てもらいたいです。
 

by dazaiosamuh | 2019-04-16 13:10 | 太宰治 | Comments(7)

 本日5日、太宰治の短編集作品『お伽草紙』の全編が全て揃った完全直筆原稿が発見されたと日本近代文学館より発表された。これは太宰が戦時中に執筆した、研究者のみならず一般読者のあいだでも非常に評価の高い中期の代表作で、発見された原稿は400字詰め原稿用紙を半分に切った200字詰めで計387枚。個人が所蔵していたらしく、筆跡などかから太宰の直筆と特定され、しかも内容から下書きなどではなく、最終稿!!
 まさか『お伽草紙』の完全直筆原稿が発見されるとは思ってませんでした。私は太宰の作品の中でも『お伽草紙』は上位に入るほど好きな作品。生誕110年にこのような発表が入り非常に嬉しく興奮します。
 この『お伽草紙』完全直筆原稿は、明日6日から日本近代文学館での特別展『生誕110年 太宰治創作の舞台裏』で公開されるという。
 これは絶対に行かなくては!!

by dazaiosamuh | 2019-04-05 17:15 | 太宰治 | Comments(2)

 先月、久しぶりに船橋の太宰治旧宅跡を訪れた。なぜか無性に行きたくなったのだ。船橋駅で降りて、記憶を頼りに進んで行く。はじめて訪れたときは、道に迷いながらで随分と時間が掛かった記憶があるが、今回はすんなりと到着することができた。
 到着してみると、なぜか違和感を感じる。普通に太宰治旧宅跡の石碑と案内板がある。石碑と案内板が普通に建ててあるなんて、そりゃ当たりまじゃないかと思うかもしれないが、たしか太宰と全く関係のない人家の外壁沿いにあり、しかも目の前には車が停まっていたはず。よく見ると、家が新しくなっている。どうやら建て直しに伴い、石碑の場所が変わったようだ。ここを初めて訪れたのは平成26年(2014)3月で、同月12日付の記事で写真も載せているので、写真を比較してみてほしい。
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 写真が以前の旧宅跡です。家の外壁沿いに窮屈そうに石碑が建っているのが分かると思います。車が停まっていると綺麗に真正面から写真を撮ることができません。
案内板には、
太宰治 旧居跡
太宰治は、昭和十年七月から一年三月余、旧船橋町五日市本宿に住んだ。この間、「ダス・ゲマイネ」「めくら草紙」「虚構に春」などの名作を世に送った。
 この旧居跡には、太宰が植えた夾竹桃があったが、今は中央公民館前広場の文学碑のそばに移され、毎年美しい花をつけている。船橋は、太宰文学の飛躍の地であるとともに、生涯の中できわめてゆかりの深い土地の一つである。船橋市教育委員会』とある。
 そして新たに場所を変更して建て直されたのが下の写真です。
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 太宰治旧宅跡の石碑は同じですが、案内板は平成29年とあり新しくなっていました。
太宰治旧宅跡
太宰治は、短い期間ですが船橋で生活していました。昭和10年(1935)7月、26歳の時に、東葛飾郡船橋町五日市本宿一九二八(現、宮本一丁目12-9)の新築の借家に移り住みました。この頃の太宰は、大学に落第し、自殺未遂を起こし、さらに、4月には盲腸炎をこじらせ腹膜炎となり、その鎮痛剤パビナールによる中毒に陥っていました。療養のための船橋移住でした。この時、旧制弘前高等学校時代に知り合った妻の初代も一緒でした。療養のための移住でしたが、パビナール中毒を断つことができず、症状の悪化を心配した家族が、井伏鱒二に説得を依頼し、昭和11年10月に東京の病院へ移ることとなりました。船橋移住の間、「ダス・ゲマイネ」「めくら草紙」「虚構の春」などの名作を世に送りました。後に、著書『十五年間』に「私には千葉船橋町の家が最も愛着が深かった。」と記されているように、度々居所を変えた太宰にとって、船橋が特に思い出深い土地であったことが窺えます。
 平成29年10月 船橋市教育委員会

 説明がより詳しく親切になっている。私が嬉しく思った事は、案内板に英語訳も新たに記載されていたことだ。この船橋の太宰治旧宅跡は、駅から徒歩10分~15分ほど離れた住宅地の中にある。わざわざ英語訳を載せたのは、これはつまり、年々海外の太宰ファンが増えている、太宰のゆかりの地を訪れる外国人観光客が増えていることを意味している。そういえば漫画、文豪ストレイドッグスの影響で銀座のバー・ルパンに、海外から外国人の女の子が一人で来ている姿を何度も目にしている。
 今年の太宰治生誕110年と相まって、各地の太宰ゆかりの地は賑わいそうでいいですね。


by dazaiosamuh | 2019-04-04 07:47 | 太宰治 | Comments(2)