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 2018年も最後となった。今年は今までで一番太宰治の聖地めぐりや記事を書くのが捗らなかった。捗らないというよりも、単に細かいところをのぞけば、7,8割は歩いてしまっているので、残りをまわりきるのがもったいない、というのが正直な思いで、そのため敢えてゆかりの地を歩かなかったのである。(過去に歩いたがそれも敢えてまだ記事にしていないのもある)
 来年は、太宰治生誕110年ということでまだ歩いていないゆかりの地を歩こうと思う。

 さて、今日で2018年も終わりますが、来年は太宰以外にも何かしたいなと思っていて、実は前々から自分の字の汚さ、醜さには辟易していました。そこでちょっとしたことではあるが、綺麗な字で書けるように、ここは一つ来年は字の練習でもしようと思い、わざわざ今年最後の日に練習帳を買いに書店に向かいました。

 本棚を端から順に目で追っていくと、悲しいかな、すぐにある文字が目に留まり気付いたら手にとっていました。

『なぞって美文字 書いて味わう 太宰治』
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 すぐに『太宰治』の名前に反応してしまいます。
『読んでなぞって書くだけで美文字に!』
 しかもワンコインです、迷うことなくレジに向かいました。
 そういえば、丁度1年前にも太宰治作品をなぞり書きする本を買っています。あの時は今ほど自分の字を気にしていませんでした。あの時買ったのは、『なぞり書きで楽しむ太宰治』で、『走れメロス』『富嶽百景』『人間失格』『女生徒』『ヴィヨンの妻』『斜陽』『満願』『お伽草紙』『グッド・バイ』の9作品。
 そして今日買ったのも9作品収録で同じ作品は、『女生徒』『走れメロス』『富嶽百景』『斜陽』『人間失格』の5作品で、違うのは、『道化の華』『東京八景』『思い出』『駈込み訴え』の4作品があることです。
 ページ数のボリュームを比較すると少ないが、去年の方はただなぞるだけのものでした。今日買った方は、なぞる行と書き写せる空欄の行があるので実践向けで良い。まえがきにも『みなさんが書き写すのは、太宰の名場面、名文ばかりである。昔は文章修行として、文豪の作品を書き写したものだ。そのことが文章を磨くのにもっとも効果的だったからである。作家の息づかいまで感じとることができる。こんな面白いことはない。』とある。
 書き写すと言えば、ゆかりの地をまわってそれを記事にするときに、太宰治作品や関連作品の文章をただパソコンで打ち込むだけであった。
 今日購入した『なぞって美文字 書いて味わう 太宰治』を終えて少しでも文字に自信が付いたら、自分の好きな太宰作品を全文書き写すことにチャレンジしてみようと思います。文字が綺麗になることと文章力が身に付くことを願って…。(と言っても結局は自分の努力次第ですが)

 小さな目標ではあるが、続けることに意味があるので努力していきたいです。
 そういえば、来年5月の『走れメロスマラソン』に向けた練習は、現在、なぜか走るたびに右膝を必ず痛めてしまうため、10日に一度のペースになっている。いくら休んでも走ると痛めてしまう。骨盤か右足の歪み?が原因だろうか、走り方、フォームが悪いのだろうか。原因が分からない。このままではどうなるものか、原因を発見してなおさないと、まともに練習にならない。

 どうなることやら分かりませんが、来年もよろしくお願いします。よいお年を。


by dazaiosamuh | 2018-12-31 17:50 | 太宰治 | Comments(4)

 太宰治の新たな情報が入った。なんでも小説『津軽』で太宰が自分で購入した鯛を宿で調理してもらった人が判明したのだという。というのも、『津軽』を読んだ人なら分かるが、太宰は故郷・津軽についての小説を書くためにN君、Mさんと一緒に歩いてまわっていた。途中、リヤカーにいっぱい積まれた魚を見て、二尺くらいある鯛を一円七十銭で、つい買ってしまった。つまらんものを買ったねえとN君たちに軽蔑されながらも歩き進め、日が暮れかけた時刻に何とか三厩の宿に落ち着いた。
 宿で太宰はリュックから鯛の包を取り出し、女中に、『これは鯛ですけどね、これをこのまま塩焼きにして持って来て下さい』と言った。なんだかあまり悧巧そうでない女中に、何か不安を感じ取ったのか、N君は、『そのまま塩焼きにするんですよ。三人だからと言って、三つに切らなくてもいいのですよ。ことさらに、三等分の必要はないんですよ。分かりましたか』と、あまり上手とは言えない説明をした。この女中、先ほどから、返事は「はあ」しか言わない。持参した酒を三人で呑み交わしているうちに鯛が出た。

ことさらに三つに切らなくてもいいというN君の注意が、実に馬鹿々々しい結果になっていたのである。頭も尾も骨もなく、ただ鯛の切身の塩焼きが五片ばかり、何の風情も無く白茶けて皿に載っているのである。私は決して、たべものにこだわっているのではない。食いたくて、二尺の鯛を買ったのではない。読者は、わかってくれるだろうと思う。私はそれを一尾の原形のままで焼いてもらって、そうしてそれを大皿に載せて眺めたかったのである。食う食わないは主要な問題でないのだ。私はそれを眺めながらお酒を飲み、ゆたかな気分になりたかったのである。ことさらに三つに切らなくてもいい、というN君の言い方もへんだったが、そんなら五つに切りましょうと考えるこの宿の者の無神経が、癪にさわるやら、うらめしいやら、私は全く地団駄を踏む思いであった。
「つまらねえ事をしてくれた」お皿に愚かしく積まれてある五切れのやきざかな(それはもう鯛では無い、単なる、やきざかなだ)を眺めて、私は、泣きたく思った。せめて、刺身にでもしてもらったのなら、まだ、あきらめもつくと思った。頭や骨はどうしたろう。大きい見事な頭だったのに、捨てちゃったのかしら。さかなの豊富な地方の宿は、かえって、さかなに鈍感になって、料理法も何も知りやしない。…(中略)…いま思い出しても、あの鯛は、くやしい。だいたい、無神経だ。

小説『津軽』は全編を通して面白く印象深いが、この鯛事件も『津軽』の中で印象に残りやすく、読んだことのある方はこの場面で太宰に同情したことを覚えているだろう。
 そしてなんと、この鯛を調理した人物が判明したというのだ。その料理した人物を特定したのは、元三厩村役場総務課職員だった外ヶ浜町三厩の牧野和香子さん(67)という方のようで、1年に及ぶ独自の調査により探し当てたという。実に素晴らしい。まさか『津軽』のこの鯛を調理した人を探し当てるとは…。詳細はまだ分からない。『津軽』を執筆するために、太宰が故郷を歩いたのは昭和19年5月のこと。太宰たちが泊まった旅館というのは丸山旅館のことで、すでにない。よくぞ探し当てたと思う。しかし75年前のことだ。その調理した方はもう亡くなられているのだろうか。
 詳細な情報があとで出るのかどうか、待ち遠しい。


by dazaiosamuh | 2018-12-23 21:28 | 太宰治 | Comments(2)

 太宰治にとって昭和11年から12年にかけては、パビナール中毒とそれにともなう入院、妻・小山初代の不倫、初代との群馬県水上での心中未遂と離別など、心身共に疲弊の時期であった。だが次第に落ち着いてきて、5月に入ると、友人の檀一雄、伊馬鵜平とともに大いに男女交歓を楽しもうということになり、3人が発起し『青春五月党』というグループを作った。以下、赤文字は檀一雄著『小説 太宰治』より

船橋の頃の不健康は、失せてしまって、太宰は例のユーモラスでチャーミングな快活を取り戻していた。もっとも、心の楽屋裏の方は、私は知らない。太宰と私と伊馬と発起して、「青春五月党」というのを結成した。
 例のヤケクソからである。私の妹の友人を呼び集めた。女子美術の生徒達である。それから高橋幸雄、堀内剛二、猪口富士男等を呼んできた。
 女達にめいめい弁当を作らせ、桜が丁度終わった頃、大はしゃぎで、石神井の池畔に出掛けていった。

 昭和12年5月、『青春五月党』のメンバーで石神井の池畔に遊びに出掛けたのであった。メンバーは、太宰治、檀一雄、伊馬鵜平、高橋幸雄、猪口富士男、塩月赳、檀一雄の妹・寿美と女友達の12人である。

素晴らしい五月の太陽だった。もうブヨがうるさくつきまとってきた。荻窪から石神井まで徒歩で抜け、三宝寺池畔の茶店の籐影に、縁台を据えた。

 どうやらその日は太陽が顔を出した良い天気だったみたいですね。私がここを訪れたのは、10月も終わりに近づいている時で、それでも歩いていると少し汗ばむ陽気だったように覚えています。石神井公園駅の観光案内所で販売している『文学散歩マップ』にも、太宰治等が結成した『青春五月党』が石神井公園の三宝寺池を訪れたことが記載されている。
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 写真は石神井公園の石神井池(ボート池とも言われている)です。ボートがありますが、乗っている人は一人もいませんでした。長閑で気持ちも落ち着きまね。ベンチに座って池を眺めながら缶コーヒーを飲んでいる人、新聞を読んでいる人、ラジオを聞いている人、釣りを楽しむ人など様々に休日を過ごしている様子が分かります。
 この石神井池は、石神井風致協会が、1934年(昭和9年)に三宝寺池より流出する川を堰き止めて作った人工池。多くの種類の水鳥が飛来し間近に観察することができるため、それを目当に訪れる人々も多い。『青春五月党』が訪れたのは昭和12年なので、すでにこの人工池はあり、太宰治を含めたメンバーもこの池を眺めているはず。
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 石神井池に沿って歩いていると、今にも池に飛び込みそうな勢いを見せる木が1本あった。水面ぎりぎりで止まっている。なぜこんな成長の仕方をしたのだろうか。
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 道路を挟んで反対側に三宝寺池がある。写真は貴重な植物が管理されている『三宝寺池沼沢植物群落』で、1934年(昭和9年)に国の天然記念物として指定されている。当時50種類ほどの水生植物があったとされるが、近辺の都市化による水温の変化、水質の悪化など環境の変化により減少している。観光案内所で購入した『石神井公園ガイドマップ』によると、『約2万年前の最終氷期に繁茂した遺存種・ミツガシワや、カキツバタ・コウホネ・ハンゲショウなどの「貴重水生植物」は、その他の「保護上重要な植物」と共に中の島(浮島)等の自生地で現在も生育管理されている』とある。
 約2万年前の最終氷期の遺存種が現在でも生えているとはすごいですね。それもあってか、色々な昆虫や野鳥が遊びに来るようで、それを目当にカメラや双眼鏡を片手に人々もまた集まってくるようです。

 鳥の鳴き声を聞きながら、池や木々など自然を眺め歩いていると、都会での仕事や生活で疲れた身体も癒されます。途中、ベンチで真剣に将棋の駒を指す数名の年配者の姿が見受けられた。自然豊かな石神井公園で仲の良い友人と将棋を指すのが、何よりの休日の楽しみなのだろう。
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 三宝寺池一帯は、1915年(大正4年)に武蔵野鉄道が開通してから、都心から近い行楽地として多くの人が訪れるようになった。吉祥寺の井の頭池、杉並の善福寺池と共に武蔵野三大湧水地として知られている。家族連れやカップルのデートスポットでもあった。男女交歓にはうってつけだ。『青春五月党』も例にもれずここを選んだのだろう。
美人がいた。武田明子という名前だったことまで覚えている。しかし、少女達はみんな、甲斐甲斐しい背広姿の高橋幸雄に誘われて、ボートの方に降りていった。太宰と私と伊馬鵜平だけが、縁台の上に、置きざりになるのである。

 つまり、大いに男女交歓しようと発起し結成した太宰治、檀一雄、伊馬鵜平の男3人がよりによって、女性たちに相手にされなかったのである。なんとも寂しい限りである。女性5人もいながら…。

「もう駄目だね、我々は」と、伊馬。
「こりゃ、ひでえ。全く駄目だ。もう、こうなったら、立派になる以外はない。髭をはやすさ。やけくそだ。カイゼル髭だ。伊馬君も檀君も、思い思い、立てたがいいよ。こりゃ、ひでえ。ワッ」
 と、太宰は例の叫び声をあげながら、酒をあおった。
「もうこうなったら、坐禅だ。達磨だ。面壁九年だ」
 太宰は縁台の上に、結跏を組んで、又酒をあおるのである。
「そうだ、檀君。男は、女じゃねえや。ワァひでえ。意味をなさん。ナンセンスだ。自分ながら、驚いたね」

 太宰治の悔しさ、惨めさが良い意味で伝わってきますね。ヤケクソ感がいいです。『意味をなさん。ナンセンスだ。』そりゃそうだ。男女交歓が目的で、女性たちにわざわざ弁当も作らせ、大はしゃぎで池に遊びに来たのに、発起人の3人が相手にされないのだから。
 しかし、それでも太宰は大はしゃぎであったようだ。
この日の大はしゃぎの太宰を思い出す。私と太宰は、池畔で何枚も写真を撮って貰って、やがて池をグルリと廻り、いつ迄もボートを漕いでいる、高橋や少女達を呼びかえした。
 やがて、少女達と別れて、荻窪の裏の畑地を、三人で歩いた、モヤモヤと媚めいた夕暮れのことを覚えている。

 もしかしたら自分たちの滑稽さが可笑しく、それがまた愉快でならなかったのかもしれない。
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 文学散歩マップによると、『三宝寺池畔の厳島神社はもと弁天社で、三宝寺、氷川神社などとともに、江戸時代の小旅行ガイド『遊歴雑記』や『嘉陵紀行』『江戸名所図絵』にも登場する。弁天社には、江戸市中の弁天講の人々が巳待ちの日に訪れ、舟を出したり芝居を見たりと、にぎやかな信仰対象だったことが名書物には記されている。』とある。由緒ある神社なのですね。写真中央付近にあるのが厳島神社。

太宰はもう饒舌らなかった。私と伊馬の後ろから、とぼとぼついて来ていたが、折々、丁度、かすかに光り始めた星などを、いぶかしそうに仰ぎ見たりしていた。が、私達が振り返って、しばらく待つと、あわてて微笑を浮かべながらやってきて、
「ナポリを見てから、死ね」
 畔の溝を一つ跳びこし、ワハハハと、夕暮に金歯を閃めかせながら、意味もなくそう笑った。これらの日の太宰の面影は、今、たくまぬ明暗の美しさで私の眼の中に浮かんでくる。遠い稲妻に折々反照される、不可思議な孤独の立像としてだ。

 太宰治との深い友情も含め、檀一雄にとって、思い出深い日となった。この思い出をきっかけに、檀は石神井に移り住むようになる。檀一雄は1942年(昭和17年)より、戦中の不在期間を除いて、生涯を石神井で過ごした。
『青春五月党』の石神井・三宝寺池での集合写真は、書籍等に掲載されており、確認することができる。

 石神井公園は、自然にできた天然の三宝寺池と人工のボートで遊べる石神井池(ボート池)を中心に構成されている。都内とは思えないような豊かな自然を味わうことができる。石神井公園には他にも、記念庭園や石神井城址、氷川神社、石神井松の風文化公園、旧内田家住宅など見所が多くある。石神井は多くの文士が住んだ場所としても有名で、檀一雄は中心的存在であったという。文士だけでなく、俳人、歌人、詩人やまた学者や芸術家も多く住んだ土地で、名前を挙げるのが大変なほどで、それだけでも魅力ある土地であることは言うまでもない。
 季節の花や生物、四季の景観を楽しむことができる。今度訪れる時は、花見で賑わう春に訪れてみたい。


by dazaiosamuh | 2018-12-08 12:20 | 太宰治 | Comments(0)

 太宰治の名作『人間失格』の誕生秘話をテーマにした映画が製作されることが分かった。タイトルはそのまま『人間失格』。
 小栗旬主演で、蜷川実花監督がこの映画の主演は小栗旬しかいない、と本人にオファーして決まったそうだ。
 製作される『人間失格』は上記の通り、誕生秘話を描いたストーリーで実写化ではなく、「太宰治自身と3人の女性目線から実話を基にしたフィクション」とのことだ。

 2019年公開とのことで、おそらくこの映画も太宰治生誕110年に合わせたものだろう。『人間失格』の誕生秘話をどのように描くのか、楽しみだ。蜷川監督が小栗旬しかいないと主演に抜擢したようだが、太宰治役が合うのか合わないのか、これは映画の出来具合とあとは好みで意見が別れそうな気がする。

by dazaiosamuh | 2018-12-04 19:51 | 太宰治 | Comments(0)