太宰治がよく飲みに行った場所で判明しているのが、舞鶴城公園の南側にあった梅ヶ枝旅館。太宰はそこで井伏鱒二などと一緒によく飲んでいたようだ。さらに山梨在住の文化人ともよく会っていたようで、その飲み場の一つにもやはり梅ヶ枝旅館があった。

 最初、梅ヶ枝旅館の詳しい場所が分からなかったが、場所を特定するにあたって、太宰の滞在した旅館明治を訪れた際に偶然に梅ヶ枝旅館の詳細な住所を知ることができた。旅館明治の館内にある太宰治コーナーに、『太宰治の足跡』と書かれたプレートが壁に掛けてあり、そこに梅ヶ枝旅館跡の住所と地図が記載されていたのだ。
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 梅ヶ枝旅館は現在の丸の内1-9-5にあったようだ。地図の⑤番の場所になる。
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 ここが現在の丸の内1-9-5で、梅ヶ枝旅館跡になります。現在は駐車場となっており面影は何もないように思われる。
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 この跡地を歩き廻ってよく見てみると、旅館がかつてあったであろうと思われる、石柱?石塀?というのかそれらしきものがあった。梅ヶ枝旅館は平成20年3月に閉館した。雑誌などの写真から当時の風情ある佇まいを伺うことはできる。なんでも小振りではあるが粋な感じの旅館であったとのことだ。
 昭和20年4月11日、甲府の石原家で土産に買った鶏二羽の羽を小山清と挘っていたところへ、井伏鱒二が訪れ、三人で梅ヶ枝へ行き酒盃を傾けた。この時に、太宰は井伏から小山初代が青島で死んだことを知らされたという。翌12日、太宰治、井伏鱒二、小山清と三人で、妻・美知子の作ってくれた弁当を持参して武田神社に花見に行った。
 梅ヶ枝旅館は、太宰が最初の妻・小山初代の死を知らされた重要な場所であった。太宰にとっては、胸の痛む思い出の場所となってしまっただろうか。

 太宰治に限ったことではないが、ゆかりの建物が無くなっていくのは本当に残念だ。せめてここにかつてこれがあり、彼はここへやってきたのだというのを発信し、伝わってくれればと思う。

 太宰治と甲府の記事は長くなったが、次回で終了になります。


by dazaiosamuh | 2018-08-25 15:28 | 太宰治 | Comments(0)

 『新樹の言葉』は今回で最後になります。
 望富閣でさんざん飲んで眠り込んだ主人公であったが、それから二日目の夜中の2時過ぎに火事の騒ぎに気付く。
宿からは、よほど離れている。けれども、今夜は全くの無風なので、焔は思うさま伸び伸びと天に舞いあがり立ちのぼり、めらめら燃える焔のけはいが、ここまではっきり聞こえるようで、ふるえるほどに壮観であった。ふと見ると、月夜で、富士がほのかに見えて、気のせいか、富士も焔に照らされて薄紅色になっている。四辺の山々の姿も、やはりなんだか汗ばんで、紅潮しているように見えるのである。甲府の火事は、沼の底の大焚火だ。

 一軒や二軒の火事の焔によって富士山が照らされるものなのだろうか。他にも太宰は『富嶽百景』のなかで、夜中に外に出かけたとき、『おそろしく、明るい月夜だった。富士が、よかった。月光を受けて、青く透きとおるようで、私は、狐に化かされているような気がした。富士が、したたるように青いのだ』と書いている。
 月光を受けてしたたるように青い富士と、火事の焔によって薄紅色に照らされた富士。対照的に描かれている。嫌というほど甲府で富士と対峙した太宰の甲府を舞台にした作品の背後にはいつでも富士がおり、豊かな色彩感覚によって表現されているように思われる。

 主人公はふと先日の望富閣を思い出し、おもわず甲府駅まで駆けていた。まわりの人々が口々に柳町、望富閣、と叫び合い、お城へとのぼっていたため、『人々のあとについて行き、舞鶴城跡の石の段々を、多少ぶるぶる震えながらのぼっていって、やっと石垣の上の広場にたどりつき、見ると、すぐ真下に、火事が、轟々凄惨の音をたてて燃えていた。
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 写真は現在の舞鶴城公園。天気もよく気持がいい。しかし、望富閣(モデルは望仙閣)のあった場所から轟々凄惨の音はさすがに距離があり聞えないであろう。
とんと肩をたたかれた。振りむくと、うしろに、幸吉兄妹が微笑して立っている。
「あ、焼けたね。」私は、舌がもつれて、はっきり、うまく言えなかった。
「ええ、焼ける家だったのですね。父も、母も、仕合わせでしたね。」焔の光を受けて並んで立っている幸吉兄妹の姿は、どこか凛として美しかった。「あ、裏二階のほうにも火がまわっちゃったらしいな。全焼ですね。」幸吉は、ひとりでそう呟いて、微笑した。
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 写真は望富閣のある方角ではないが、激しく燃える音と同様に、たとえ現在のように高い建物が無いにしても舞鶴城跡からは燃えている様子が詳しくはっきりとは見えないはず。主人公の乳母が居た家に火事が起き、そして主人公の乳母の子供たち・幸吉兄妹は育った家を失うが、これは、太宰が甲府で気持ちを新たに妻・美知子を持ち、文筆に打ち込み、決して金木の生家を頼らない、頼らずとも強く生きていく、という再出発へ懸ける強い思いの表れなのではないかと私は考えている。

けだものの咆哮の声が、間断なく聞こえる。
「なんだろう。」私は先刻から不審であった。
「すぐ裏に、公園の動物園があるのよ。」妹が教えてくれた。「ライオンなんか、逃げ出しちゃたいへんね。」くったく無く笑っている。
 君たちは、幸福だ。大勝利だ。そうして、もっと、もっと仕合せになれる。私は大きく腕組みして、それでも、やはりぶるぶる震えながら、こっそり力こぶいれていたのである。
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 『公園の動物園』というのは、現在の甲府市遊亀公園附属動物園のことで、太田町公園とも呼ばれている。大正8年(1919)に開業した。調べていて知ったのだが、東京都・恩賜上野動物園、京都府・京都市動物園、大阪府・大阪市天王寺動物園に次いで日本で4番目にできた動物園とのことで、歴史は古い。
 遊亀公園内の南隅にあり、たしかに望仙閣跡付近の裏側に位置する。
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 ここを訪れたときは非常に暑かったが、楽しそうに水遊びするペンギンを見て癒された。ペンギンは、いつ、どこで見ても可愛いもんですね。
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 マレーグマは毛が短くスマートなクマとのことだが、なんだかちょっとひ弱そうに見えるのは私だけでしょうか…。さっぱりし過ぎな気もしないでもない。
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 水遊びをするゾウさん。この日は日差しが強かったから見物客どころじゃなかっただろう。
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 ポニーは可愛いですね。木影でのんびりしています。家で飼いたいです。
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 寄り添うライオン。いや、寄り添っているのではなく、雄は雌ライオンの横で眠りこけている。
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 しかもよく見ると、目が半開きだ。ライオンは寝ている時、このように完全に瞼を閉じないのでしょうか。動物には詳しくないのでよく分かりません。雌は退屈そうに虚ろな目でこちらを見ている…。食う、寝る、歩く、ぼーっとする。これしかすることがないもんなあ…。
『けだものの咆哮の声が間断なく聞こえる』とあったが、こんな平和ボケしていたらいざという時に大声で咆哮など出せないのではないかと大きなお世話かもしれないが勝手に心配してしまった。
 この附属動物園は昭和20年(1945)7月6日の甲府空襲により全焼し廃園となるが、戦後、民間に一時貸出されていたが、甲府市に移管され再び市営動物園として再開し、改修を行い、昭和32年(1957)12月、都市公園指定を受け、甲府市遊亀公園附属動物園と名称し現在に至る。

『新樹の言葉』の最後に、
『君たちは、幸福だ。大勝利だ。そうして、もっと、もっと仕合せになれる。私は大きく腕組みして、それでも、やはりぶるぶる震えながら、こっそり力こぶいれていたのである。』とあり、幸吉兄妹に対して言っているかに見えるが、じつは幸吉は太宰自身でありしたがって自分に対して言い聞かせているのだろうと思われる。『こっそり力こぶいれていた』という部分からもその強い意気込みを感じずにはいられない。

 『新樹の言葉』はこれで最後になりますが、甲府はもう少しだけ続きます。


by dazaiosamuh | 2018-08-18 17:40 | 太宰治 | Comments(0)

 甲府の記事がだらだらと続いて遅れてしまっていますが、気を取り直して再開です。

『新樹の言葉』で、ある日主人公は郵便屋さんに呼び止められ、あなたは幸吉さんのお兄さんだという。主人公は違うと言うが、納得しない。そこでその幸吉という人物に会いに行くが、実は、津軽で主人公の乳母をしていた「つる」という女性の息子であった。つるは主人公を息子同然に愛し育てた。そのため幸吉は主人公のことを本当の兄のように慕っていたのだ。こうして再会し、話は進んで行く。乳母のつるはすでに13年前に亡くなり、またつるの夫は井戸に身を投げて死んだという。しかし、幸吉には4つ下の21歳の妹がおり、大丸デパアトで働いている(その大丸デパアトのモデルというのが、№19で書いた松林軒である)。
 そして幸吉は、ある料亭に主人公を招待する。
見ると、やはり黒ずんだ間口十間ほどもある古風の料亭である。
「よすぎる。たかいんじゃないか?」私の財布には、五円紙幣一枚と、それから小銭が二、三円あるだけだった。
「いいのです。かまいません。」幸吉さんは、へんに意気込んでいた
「たかいぞ、きっと、この家は。」私は、どうも気がすすまないのである。大きい朱色の額に、きざみ込まれた望富閣という名前からして、ひどくものものしく、たかそうに思われた。
「僕も、はじめてなんですが、」幸吉さんも、少しひるんで、そう小声で告白して、それから、ちょっと気を取り直し、「いいんだ。かまわない。ここでなくちゃいけないんだ。さ、はいりましょう。」
 何かわけがあるらしかった。
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 その料亭、望富閣というのは、太田町公園(市立遊亀動物公園)の西南隅にあった望仙閣のことらしい。詳細は不明で曖昧であるが、料亭・望仙閣は創業明治18年で太田町に築かれたのは明治21年(1888)のことらしく、昭和20年7月6日の甲府空襲で焼失してしまった。
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 公園・西南隅の望仙閣跡付近の写真です。その周辺に美容院があったので、その店のスタッフに望仙閣が当時ここにあったのかどうか聞いてみると、料亭が昔この付近にあったという話は聞いている、とのことであった。その料亭がやはり望仙閣であると思われる。そんな話をしていると、美容院の眼鏡をかけた綺麗な女性スタッフが果物のマスカットを何粒か持ってきて、どうぞ食べて下さいと渡してきた。この動物公園まで自転車で汗だくになりながら来たので、よく冷えたマスカットの甘味が体に染み渡った。なぜそんなことを調べているのかと聞くので、ここが太宰治の作品『新樹の言葉』に登場する場所で、自分は趣味でゆかりの地を歩いている、と答えると、太宰治?そうなんですか!と驚き、目を丸くしきょとんとしていた。どういう風に思ってくれたのかは分からないが、去り際、暑いですが頑張ってくださいと言ってくれた。

 話は新樹の言葉に戻り、料亭・望富閣に入った主人公と幸吉。はじめて入ったと幸吉は言うが、「表二階の八畳がいい」「やあ、階段もひろくしたんだね」といい、部屋に通されると「ここは、ちっともかわらんな」などと呟き、そうして主人公に向かってニコニコしながら、『ここは、ね、僕の家だったのです。いつか、いちどは来てみたいと思っていたのですが。』と語りだした。
 そう、ここは、幸吉の父が昔建てた呉服屋で、つまり幸吉の懐かしい家だったのだ。今では人手に渡り、料亭となっていたのだ。
 主人公は憐憫の情を幸吉に抱きつつ、二人で酒を呑み始めるが、『なにせ、どうも、乳母のつるが、毎日せっせと針仕事していた、その同じ箇所にあぐらをかいて坐って、酒をのんでいるのでは、うまく酔えよう道理が無かった。ふと見ると、すぐ傍に、背中を丸くして縫いものしているつるが、ちゃんと坐って居るようで、とても、のんびり落ちついて幸吉と語れなかった。
 そうして、がぶがぶと酒を呑んで、べらぼうに幸吉に向かって難題をふっかけたりし、『しょげちゃいけない。いいか、君のお父さんと、それから、君のお母さんと、おふたりが力を合わせて、この家を建設した。それから、運がわるく、また、この家を手放した。けれども、私が、もし君のお父さん、お母さんだったら、べつにそれを悲しまないね。子供が、二人とも、立派に成長して、よその人にも、うしろ指一本さされず、爽快に、その日その日を送って、こんなに嬉しいことじゃないか。大勝利だ。ヴィクトリイだ。なんだい、こんな家の一つや二つ。恋着しちゃいけない。投げ捨てよ、過去の森。自愛だ。私がついている。泣くやつがあるか。
 そうして酔いつぶれて寝ころんで、いつの間にか枕元に来ていた幸吉の妹に、乳母つるの面影を見い出すと、悪酔いも涼しくほどけて、全く安心して眠ってしまった。そうして半分夢の中で、自動車に揺られながら、幸吉兄妹に宿まで送ってもらい、翌る日の正午までだらしなく眠り込むのであった。

 望仙閣の正確な跡地はちょっと分からない。動物公園の西南隅とのことで、載せた写真の付近にあったと思われます。実際に太宰が料亭・望仙閣に来たのかも曖昧で引き続き調べていきたい。
『新樹の言葉』の記事は次回で終了予定。



by dazaiosamuh | 2018-08-05 13:52 | 太宰治 | Comments(0)

 猛暑が続いてる。最高気温35度ばかりのせいで、たまに気温が30度ぐらいだと涼しく感じられる。異常だ。ためしに何回かクーラーをつけないで夜に寝てみたが、全く駄目だ。暑くてかなわない。クーラーを使いすぎると、身体の体温調節機能が衰えるとテレビでやっており、自分自身、涼しい部屋にいると出かけるのが億劫になるので、最近はエアコンを使わずに窓を全開にして扇風機をまわしている。これを理由にしてはいけないが、暑くて記事を書く気が起きない状態が続いている。やはり適度にクーラーをつけた方がいいようだ。
 こんな暑さの続くなか、昨日、銀座のルパンへ行った。暑いとやはり涼みがてら美味しい酒が飲みたくなるものだ。ルパンでウィスキー(余市)のロックを飲みながら、ふと、そういえば8月は自分の誕生日だと思い出し(それにしても、こんな暑い時期に生れてくるとは…、一番嫌いな季節は夏だ)、マスターにそれを言うと、「そうか、しょうがないな。じゃあこれをやるよ」と、本を2冊くれた。
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 それは藤寿々夢という方が書いた上下巻の本であった。私は太宰治の関連本をたまに古本屋に買いに行くが、この2冊は見かけた事がなかった。マスターが教えてくれたが、どうやら私家版とのことで、あまり出回っていないようだ。(著者がルパンに寄越したようです)しかし、まさかこのような本が頂けるとは思っておらず、嬉しく、感慨無量であった。
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 この小説は、上下巻共に太宰治の旧制弘高時代にスポットライトをあてた物語で、『太宰治と同期に旧制弘前高等学校(現・弘前大学)を卒業した方が、当時の学生生活を思い出しながら、かつ、太宰治と交流のあった方及び関係者から聴取して記述した資料に基づいて、当時の新聞、及び相馬正一氏の「評伝・太宰治」等と照合しながら書いた小説』(あとがきより)となっている。
 上記のことから、太宰治の弘高での学生生活がどんな感じであったのか、覗いて見る事ができるようだ。今月はこの本をじっくり読んでみようと思う。(よく見たら2冊ともサインが入ってる)
 マスター、ありがとう。



by dazaiosamuh | 2018-08-01 11:05 | 太宰治 | Comments(2)