連日の暑さと仕事の疲れで記事を2週間近く怠けて書いていなかったので久しぶりの投稿です。
 先月16日から今月16日まで、三鷹市美術ギャラリーで、太宰治没後70年を迎えるにあたり『太宰治 三鷹とともに』と題して特別展が開催されている。今月初めのうちに仕事帰りに行こうと思っていながら結局行かず仕舞で、気づいたら開催最終日の前日になっていた。今日は仕事も休みだから行こうと思っていたが、東京は気温36度まで上昇するとニュースでやっていたので、どうしようかと悩んだが(暑いのが一番苦手で、春夏秋冬では一番夏が嫌い)、最終日の明日は仕事なので、仕事帰りになると疲れもあり自分の億劫がる性質から行かない可能性が高いので、冷蔵庫の中に居るのかと思うくらいに冷やした部屋のクーラーをオフにし、両手で頬を叩いて気合入れて三鷹へ向かいました。
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 三鷹に着いた時には案の定、全身汗だく状態でしたが、三鷹市美術ギャラリー内へ入ると涼しくさらに暑さも忘れて展示品に見入ってしまったので、やはり来てよかったです。
 この特別展は『三鷹で生きた太宰治の人生を、三鷹の歴史を辿りながら、太宰治と彼を支えた人々との交流に焦点を当てて…』紹介してあります。
 太宰治は昭和14年(1939)~昭和23年(1948)まで三鷹に暮し、昭和23年6月13日に山崎富栄と玉川上水に投身し、生涯を終えました。
 太宰治の関連書籍を読み漁ったり、ゆかりの地を歩いたりなどした私としては目新しい展示物はあまり無いのかと思っていましたが、初めてみる太宰治の写った写真や本特別展で初公開のものもありました。
 この特別展で初公開となる『荻窪の碧雲荘で使用していた椅子』が展示されていました。現在碧雲荘は大分県湯布院に移築されていますが、この椅子というのは、太宰治が小山初代と別離する際、小山初代が家具類を整理することになり初代が井伏鱒二に処分を託し長らく保管していたが、太宰死後、太宰の遺族に渡りさらに遺族が三鷹市に寄贈したもののようです。林檎柄の布地で、郷里・青森を想わせます。碧雲荘は和洋折衷の造りであったというから、この椅子が置いてある部屋の景色を想像しても何ら違和感は感じない。太宰が座っていたかと思うと触りたくなるが、触れるのは厳禁なため首を亀のように懸命に伸ばして仔細に眺め、匂いはないかと鼻孔を広げて嗅いでみたが、よく分からなかった。その様子をすぐ横でパイプ椅子に座って見ていた監視員は冷や冷やしていたことだろう。
 また昭和2年に官立弘前高等学校文科甲類に入学し、縁戚にあたる藤田家に下宿していた際に使用していたランプ(藤田家にて撮影された写真に太宰治とそのランプもしっかり写っている)も展示されており、こちらも私は初めてお目にかかった。実に綺麗な状態で残っているものだなと思っていたら、ランプシェードは複製とのことであった。この展示されたランプの複製されたランプシェードの布地は若葉色で、ランプの光でなんともやわらかく心落ちつかせる明かりを燈していたが、実際に太宰が藤田家で使用していたランプのランプシェードもこのような若葉色だったのだろうか。複製とのことだからそうなのかもしれない。
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 写真も初めてみるものが数点あったが、太宰治が阿佐ヶ谷将棋会にて将棋を打っている写真も1枚展示されており、この写真も初めてであった。太宰がその長く綺麗な指に駒を挟んで敵陣に打ち込んでいる写真であった。(相手は誰なのか見ていなかった)指に挟んでいるので当然何の駒かは分からないが、果敢にも敵陣に攻め入っている様子が伺える。しかし、私は将棋は下手なので、その写真に写っている盤面を見ても優劣、形勢判断はつけられない。敵陣に駒を打ち込む太宰治の姿をよくみると、和服で胡坐をかいており、膝から下が露わになっていた。じっくりとその露わとなった脚をみてみると、男らしい立派な毛脛が足首まで満遍無く生えそろっていた。逞しい胸毛も生えているとのことであるから、その他の体毛も立派であるに違いないと思っていたので、今回初めて太宰治の逞しい立派な毛脛を確認することができ、私は大変満足でした。

 その他にも貴重な資料や中々お目にかかれない代物などの展示品が揃っており、非常に見応えがあった。上記に書いた通り、碧雲荘で使用していた椅子、藤田家で使用したランプ、阿佐ヶ谷将棋会での将棋を打っている写真を見れたことが何よりも貴重で嬉しい限りであった。
 それにしても碧雲荘で使用していた林檎柄の布地の椅子が残っているなんて、何で今まで公開されなかったのであろう。来年は生誕110年だ。他にも初公開の展示品が数多く登場するに違いない。今から楽しみである。
 三鷹の太宰治没後70年特別展『太宰治 三鷹とともに』は明日16日まで!!


by dazaiosamuh | 2018-07-15 19:23 | 太宰治 | Comments(0)

 先月6月28日、新宿のbar『風紋』は開業から57年の歴史に幕を下ろした。経営者の林聖子さんは今年90歳。体を悪くし、立っていることが辛い状態であることなどからお店をたたむことにしたようだ。
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 入口には聖子さんの歩行器(?)があった。風紋は地下にあるため、階段を上り下りしなければならない。立っていることも辛い聖子さんには難儀であろう。
 私が訪れたのは先月22日。ちょうどその日は風紋閉店にあたって『風紋 終幕の会』が行われる日であった。私はネットで偶然にも風紋が閉店することを20日過ぎに知り、22日が『終幕の会』とは知らずに行ったのでした。
 『終幕の会』とあって、長年通っている常連さんや聖子さんと親しい人たちが大勢集まっていた。そんな中、私は今回で3回目でそしてこれが最後になります。初めて訪れたのは、2014年11月のことで、太宰治短編作品『メリイクリスマス』のモデルである林聖子さんの存在を知り、開店50周年を記念して出された本『風紋50年』を携えて、ドキドキしながらお店の中へと入っていった記憶が思い出される。その時に『風紋50年』にサインももらった。
 そして2回目に訪れたのは、2016年3月16日。聖子さんの誕生日(米寿)だ。この日も大勢集まり、ケーキや花などで祝福した。照れ臭そうにする聖子さんの姿が印象的だった。この時は、『風紋30年』を持参し、こちらもサインをもらった。
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 そして終幕の会(写真は風紋終幕の会にあたっての記念配布で、聖子さんが2014年に世田谷文学館で講演した時の記録が記載されている)。風紋はずっとあり続けると、なぜか思っていた。自分でも分からないがそう思っていたのだ。そのため風紋閉店は非常に衝撃であった。これならもっと定期的に通っていれば良かったと後悔した。
 長年の常連さんや懇意にしている人たちと聖子さんは笑顔で話していたが、やはりどこか少し寂しいような感じであった。閉店を惜しむ声も聞こえてきた。

 風紋に来るのもこれで最後になるので、私はまだサインを貰っていない残り1冊の『風紋25年』を持ってきていた。この日も聖子さんは快くサインして写真も撮らせて頂いた。誰にでも気さくで優しいからこそ、みんなに愛され、57年間続けてこれたのだと思います。
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 写真は風紋を記念して出版された本で、右から『風紋25年』『風紋30年』『風紋50年』です。

 林聖子さんは最後のあいさつで、『57年。みなさんのおかげで何とかやってこれました。ありがとうございました。もっと沢山話そうとすると、泣いちゃいそうなので……。ありがとうございました。』と感謝の言葉を述べていた。
 お店を出るとき、聖子さんに「お身体に気をつけてお元気でいてください」と言うと、聖子さんも「あなたもお元気で気をつけて働いてね」と言い、手を握ったときの聖子さんの暖かい温もりのある手を忘れない。
 聖子さん、風紋57年間お疲れ様でした。いつまでもお元気でいてください。


by dazaiosamuh | 2018-07-03 12:45 | 太宰治 | Comments(0)