太宰が短編『美少女』で湯村温泉の旅館明治を舞台にしたことは以前にも書いたが、その湯村へ通う際に、太宰も妻・美知子も甲府四十九連隊練兵場付近を通っている。
家内はからだじゅうのアセモに悩まされていた。甲府のすぐ近くに、湯村という温泉部落があって、そこのお湯が皮膚病に特効を有する由を聞いたので、家内をして毎日、湯村へ通わせることにした。私たちの借りている家賃六円五拾銭の草庵は、甲府市の西北端、桑畑の中にあり、そこから湯村までは歩いて二十分くらい。(四十九聯隊の練兵場を横断して、まっすぐに行くと、もっと早い。十五分くらいのものかも知れない。)家内は、朝ごはんの後片付附がすむと、湯道具持って、毎日そこへ通った。』(美少女)
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 旧歩兵第四十九聯隊の営門跡碑。この付近に営門があった。かつて多くの兵士が大声を出して訓練をしていた場所だが、今はひっそりと碑が、ここに練兵場があったことを示しているのみである。
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 福祉プラザの駐車場の敷地内にさりげなく建てられている。気付かない通行人も多い。

『美少女』で、『とにかく別天地であるから、あなたも、一度おいでなさい』と言われ、自分もさっそくその温泉へと向かう。
早朝、練兵場の草原を踏みわけて行くと、草の香も新鮮で、朝露が足をぬらして冷や冷やして、心が豁然とひらけ、ひとりで笑い出したくなるくらいである、という家内の話であった。私は暑熱をいい申しわけにして、仕事を怠けていて、退屈していた時であったから、早速行ってみることにした。朝の八時頃、家内に案内させて、出掛けた。たいしたことも無かった。練兵場の草原を踏みわけて歩いてみても、ひとりで笑い出したくなるようなことは無かった。湯村のその大衆浴場の前庭には、かなり大きい石榴の木が在り、かっと赤い花が、満開であった。甲府には石榴の樹が非常に多い。』(美少女)

 『練兵場の草原を踏みわけて行くと…』とあるが、練兵場というのは自由に中を行き来できるものなのでしょうか。『朝露が足をぬらして冷や冷やして、心が豁然とひらけ、ひとりで笑い出したくなる…』などとは妻・美知子は言わないと思われるので、太宰の誇張であろう。

御崎町を西の端まで歩いて相川の橋を渡るともう市外で、甲府四十九連隊の練兵場に続いている。連れ立って散歩していて、兵隊さんの行進に出くわして、工合のわるい思いをすることもあった。朝夕は近くの甲府中学に通う中学生がぞろぞろ通る。中学生と兵隊さんとをのぞけば、この町は人通りも少なく、大きな商店街もなく、格子作りのしもたやの並んだ眠ったような町であった。』と妻・美知子は御崎町のことを『回想の太宰治』の中で語っている。
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 写真・車道の橋が相川橋で、歩道の橋は竜雲歩道橋となっている。
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 川幅は狭いが、長閑な風景だ。
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 甲府四十九連隊は、現在の緑ヶ丘スポーツ公園全体を練兵場として使用していた。かなり大きな練兵場だったようだ。『連れ立って散歩していて、兵隊さんの行進に出くわして、工合のわるい思いをすることもあった』とあるので、太宰と二人でときおり練兵場周辺や湯村まで散歩して、二人だけの穏やかな時間を過ごしたのだろう。
 甲府は太宰のゆかりの場所が多くあり、歩いていてなかなか飽きない。


by dazaiosamuh | 2018-04-29 13:01 | 太宰治 | Comments(2)

 太宰治の行きつけの酒屋は、朝日5丁目の信号機のところにあった『窪田酒店』という酒屋であった。
酒は一円五十銭也の地酒をおもにとり、月に酒屋への支払が二十円くらい。酒の肴はもっぱら湯豆腐で……』(回想の太宰治)
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 写真の右側、道路沿いに面した場所に窪田酒店がありました。現在は大きな駐車場とファミリーマートになっています。無駄に駐車場が大き過ぎる気がしないでもない…。
 太宰はこの時、生家から月90円の仕送りがありましたが、酒代に20円を当てていたのですね。御崎町の新居に移り住む前の寿館に居た頃、『いつもお銚子三本が適量だと言って、キリよく引きあげていたが、適量どころか火をつけたようなもので、このあと諸所を飲みまわって異郷での孤独をまぎらわせていたらしい。ある飲み屋の女の人から「若様」とよばれたなどと言っていた』らしい。主に窪田酒店から地酒をとっていたが、太宰は至るところで酒を飲み歩いていた。当時あった飲み屋はあらかた飲み歩いていたのではないでしょうか。
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 写真手前すぐの道路沿いに窪田酒店があった。書籍や甲府で買った『まちミューガイドブック 甲府市朝日町界隈編』などの冊子に、窪田酒店の写真やイラスト、窪田酒店の場所が印された地図が載っていたので、簡単に見つけられると思っていたが、ここを初めて訪れた時、どこにも見当たらず何十分もうろうろした。近くの薬局で尋ねてみるも、首を傾げるだけであった。冷静に写真やイラスト、地図をみて、その周辺などを照らし合わせると、この場所で間違いなかった。すでに無くなった後ということで、残念であったが、これも時代の流れだ、仕方がない。格安で販売するスーパーなどのお店ができたり、お店を継ぐ人がいなかったりなど、いつまでも残れるものでもない。
 なるべく少しでも早く、他の太宰のゆかりの地もまわらなくては!!


by dazaiosamuh | 2018-04-21 10:57 | 太宰治 | Comments(0)

豆腐は酒の毒を消す。味噌汁は煙草の毒を消す

 これは太宰治が妻・美知子に言っていた言葉だ。なぜか妙に格好良く聞こえる。がしかし、私は煙草は吸わないので分からないが、いくらなんでも味噌汁では煙草の毒は消せないだろう。豆腐は私も大好きで、湯豆腐食べながら日本酒をちびちび飲むことがあるので、豆腐で酒の毒が本当に消えてくれたらいいなと思う。

引越す前、酒屋、煙草屋、豆腐屋、この三つの、彼に不可欠の店が近くに揃っていてお誂え向きだと、私の実家の人たちにひやかされたが、ほんとにその点便利良かった。』(回想の太宰治)
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 喜久の湯を出てすぐの交差点の角に、よく買いに行った豆腐屋があった。写真中央の茶色の建物の場所に、豆腐屋がありました。現在は人家となっているようです。
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 写真の少し奥へと進むと、太宰と美知子の住んだ新居跡があります。新居と喜久の湯の間にあったので、銭湯の帰りに買って帰り、酒を肴に飲んだのでしょう。
 この豆腐屋は、大通りに面した側が入口で、中に豆腐を入れておく大きな水槽があった。屋根は瓦葺きで、新居へと続く道側(写真の中央の道路)は、硝子戸になっていた。
 昭和13年(1938)の「国民新聞」に「九月十月十一月」と題した随筆の中で、「ふと豆腐屋の硝子戸に写る私の姿もなんと、維新の志士のように見えた」と書いている。この豆腐屋を横目に歩いたことが伺えますね。

 太宰は喜久の湯でゆっくりしたあと、新居での晩酌となるのだが…、
酒の肴はもっぱら湯豆腐で、「津島さんではふたりきりなのに、何丁も豆腐を買ってどうするんだろう」と近隣で噂されているということが、廻り廻って私の耳に入り、呆れたことがある。
 噂されるほど沢山豆腐を買っていたのですね。昔は、それぞれの家庭が鍋を持って豆腐屋さんに行き、切り分けてもらっていた。嫌でも人目につくので、妻・美知子も噂話に耐えながら毎日食べる太宰のために買いにいっていたのでしょう。
 ところで、豆腐は酒の毒を消す、と太宰は妻・美知子に言っていたそうだが、美知子の鋭い洞察によると、『太宰の説によると「豆腐は酒の毒を消す。味噌汁は煙草の毒を消す」というのだが、じつは歯がわるいのと、何丁平らげても高が知れているところから豆腐を好むのである。』と断言している。なるほど、そういうことだったのか。

 今度、会社の同僚と飲みにいったら、湯豆腐頼んで、「豆腐は酒の毒を消す。味噌汁は煙草の毒を消す」と格好良く言ってみようかなと思います。


by dazaiosamuh | 2018-04-15 09:04 | 太宰治 | Comments(0)

 甲府には太宰治が通った銭湯が今でも残っている。昭和9年(1934)創業の天然温泉、『喜久の湯』だ。写真は現在の喜久の湯。
 
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 妻・美知子の『回想の太宰治』によると、太宰は、『毎日午後三時頃まで机に向かい、それから近くの喜久之湯に行く。その間に支度しておりて、夕方から飲み始め、夜九時頃までに、六、七合飲んで、ときには「お俊伝兵衛」や「朝顔日記」、「鮨やのお里」の一節を語ったり、歌舞伎の声色を使ったりした。「ブルタス、お前もか」などと言い出して手こずることもあった。』らしい。

 この喜久の湯は、一般的な銭湯と違い、湯沸かし湯ではなく、天然温泉が使われている。それもあってか、私が訪れた時まわりのお客さんは皆、お肌がつるつるな印象を受けた。自分も将来、年を重ねても綺麗な肌でいたいものだ。昔はお風呂が家にない家庭がほとんどだった。今ではその逆で風呂があるのが当たり前で、銭湯を利用する人はいなくなってきている。それでもこれだけ多くの人に愛され、利用されるというのはすごいことだ。建物の外壁などは改装されているが、中はというと、昔ながらの銭湯だ。ここには今でも昭和が残っている。
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 番台を見るのも久しぶりだ。脱衣所には木の鍵のロッカーがある。壁に貼られた古い広告なども目を引く。番台に座るおばあちゃんに、太宰治について尋ねると、「その当時は、まだ有名な人ではなかったから、記憶に残っている人もほとんどいない。」と言っていた。たしかにそのとおりだ。しかし、太宰が住んだ御崎町の新居から一番近い銭湯はこの喜久の湯で、妻・美知子の証言もある、やはりここによく湯に浸かりに来た事は間違いないだろう。浴槽はひょうたんの形をしている。太宰もこのひょうたんの浴槽でのんびり天然温泉の湯で体を癒した。入ってみると、何だろう、とても落ち着く。太宰ゆかりの地をまわることをそっちのけで、このままずっと入っていたい。昭和の雰囲気が、むしろ現代の生活に見慣れてしまっている私には新鮮で心地よい。そうか、ここによく来るお年寄りの方々にとっては、昭和を、当時を懐かしむことのできる場所でもあるのか。いつまでも残ってほしいですね。

 太宰は喜久の湯の後、酒を6、7合飲んでは上機嫌でふざけて、妻・美知子を困らせる。
ご当人は飲みたいだけ飲んで、ぶっ倒れて寝てしまうのであるが、兵営の消灯ラッパも空に消え、近隣みな寝しずまった井戸端で、汚れものの片附けなどしていると、太宰が始終口にする「侘しい」というのは、こういうことかと思った。』と妻・美知子は回想している。

 有名でなかった当時、本当に毎日銭湯に行っていたとなると、なかなかの贅沢だったと思います。しかし、妻・美知子はどうだったのでしょう。夫婦揃って毎日銭湯にはさすがに行けなかったはず。太宰も苦労人だが、その妻である美知子も、太宰と同じかそれ以上に大変だったような気がします…。
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 喜久の湯は本当に良い銭湯でした。甲府へ旅行に行ったら、一度は必ず行くべき場所だと思います。


by dazaiosamuh | 2018-04-09 10:43 | 太宰治 | Comments(2)

 伊藤潤二作『人間失格』の第2巻が発売した。第1巻は、主人公・葉蔵がツネ子と鎌倉で心中し自分だけ助かり、その後、保証人・渋田の世話になっていたが家出。堀木の家を訪れたところで終わっている。
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 第2巻も作者の独特の解釈、世界観で圧倒するが、しかし第1巻の記事でも書いたが、葉蔵の言動が原因で竹一を自殺させたり、下宿先の姉妹が殺し合い(セッちゃんがアネサを殺す)をしたりなど、これはやりすぎで原作と違いすぎる。罪に対する意識がまるで変わるはずだが、この第2巻でどのように描かれているのかと読んでみると、自分が原因で死んだ竹一やアネサに対する自責の念も特にない。自分がもしこの漫画の主人公だったら、きっと耐えられなくて……。

 セッちゃんが産んだ、竹一に似た子供がなぞで、第2巻では登場しないが、今後どのように書いていくのだろうか。
 他にも色々と指摘したいところが多くあるが、あえて書きません。どう結末を迎えるのか、見届けようと思います。


by dazaiosamuh | 2018-04-03 22:06 | 太宰治 | Comments(0)