旅館明治の浴場を舞台に書かれた作品『美少女』の中で、『湯村のその大衆浴場の前庭には、かなり大きい石榴の木が在り、かっと赤い花が、満開であった。甲府には、石榴の樹が非常に多い。
 浴場は、つい最近新築されたものらしく、よごれが無く、純白のタイルが張られて明るく、日光が充満していて、清楚の感じである。』と様子が描かれているが、旅館明治のパンフレットによると、どうやらかなり修飾して書かれているようだ。
c0316988_11062977.jpg
 旅館明治の男湯入口。日帰り入浴客は私1人だけでがらんとしている。

 かなり清潔感あふれる様子で書いているが、しかし、湯船に浸かってみると、『私は湯槽にからだを滑り込ませて、ぬるいのに驚いた。水とそんなにちがわない感じがした。しゃがんで、顎までからだを沈めて、身動きもできない。寒いのである。ちょっと肩を出すと、ひやと寒い。だまって、死んだようにして、しゃがんでいなければならぬ。とんでもないことになったと私は心細かった。

 水とちがわないとは明らかに誇張して書いているが、旅館明治は、『昔はそれほど熱い湯ではありませんでした。』とパンフレットに記載しているので、実際に湯に入った太宰は、そのことを大袈裟に表現したものと思われる。しかし、当時の湯村温泉は、『いくつかの源泉をはさんで十軒ほどの旅館が建てられていました。』(旅館明治 パンフレット)とあるので、そんな中、旅館明治を少なくとも2回逗留しているということは、なんだかんだと気に入っていたのでしょう。
c0316988_11070123.jpg
 実際に私も入ってみましたが、たしかにほかの温泉よりも若干ぬるめの湯に感じました。事実、旅館明治は源泉のままだと少しぬるいようで、一度湧かし直しているようです。しかし、熱い湯につかるよりも、ぬるめの湯にゆっくり長く浸かり、じわじわと汗を流すほうが、身体には良いとされているので、湯治には最適の湯であるのでしょう。たしかに長く入っていると、じわじわと汗が流れてくる。身体の毒素が一緒に流れてくれるような気がした。

 太宰治と甲府はまだまだ続きます

by dazaiosamuh | 2018-01-24 11:08 | 太宰治 | Comments(0)

 先週、実家に帰省した際、父が太宰のことが載っている新聞を取っておいてくれていた。それは、1月14日の読売新聞の記事で、『太宰との友情と決別』という見出しで、『火宅の人』などで知られる作家・檀一雄について記載された記事であった。
c0316988_11551218.jpg
 檀一雄といえば、太宰と作家仲間で、太宰の処女作品集『晩年』の出版にあたって懸命に尽瘁した人でもある。
 記事は壇の作品に触れながら、太宰との作品の資質の違いを問い、二人が全く違う道を進んで行く様子を簡明に書いている。

同じ無頼派文士でも、「火宅の人」の檀は、天然の旅情の赴くまま人を愛し、世界を歩き、”檀流クッキング„で客をもてなし、63歳の生涯を全うしたのに対して、太宰は、震える自意識と向き合い、国内を出ず、旅では酒ばかり、何度も自殺を図り、38歳で心中死した。資質は違う。
 事実、第1作品集「花筐」の出版直後の37年、檀は日中戦争で召集されてから太宰との分岐路を自覚、「私は生者の側に立つ。生命の建立の様相を自分流に見守り、育んでゆくばかりだ」と宣言、「人間失格」に至る太宰治とは異なる道を歩んだ。

 小説は作者自身の生き方や、人生や人間、愛や憎しみなどの感情に対してどう考えているかが自然、作品に表われてくる。太宰は身体の具合から、召集は免れているが、もし経験していれば、その作風も少なからず変わっていたかもしれない。



by dazaiosamuh | 2018-01-21 11:59 | 太宰治 | Comments(2)

 2、3日前から風邪を引いてしまった。熱は出なかったためよかったが、喉が痛い。風邪薬を飲んだが効果なく、なんだか嫌な予感がして病院で診てもらったら、一応インフルではなかったため安堵した。しかし、喉の具合が悪化している。来週せっかく故郷・岩手に帰省するのに、これでは帰省中、引きこもるはめになりそうだ。それと、まだ銀座のバー・ルパンに新年の挨拶にも行っていなかったため、今日仕事帰りに一杯飲んで帰ることにした。ついでにマスターに、風邪に効果抜群の酒でも作ってもらおうと思ったのである。

 マスターに、風邪を引いてしまったので、風邪に効く酒を作ってくれ!! というと、「おお、いいよ!! ちょうどいいもんあるから作ってやるよ」と言ってくれて、出してきたのが、マスター特製のホット・モスコーミュール!!
c0316988_21365399.jpg
 モスコーミュールをホットで飲むのは実は初めてだ。一口飲んだ瞬間に、喉の痛みが和らいだ気がした。思わずマスターに、「これはいいね。風邪なんかすぐ治るよ」と言うと、笑いながら、「治るわけないだろ。それ飲んで風邪が治ったんじゃ、苦労はないよ」のツッコミ。

 風邪を引いているので、一杯だけで帰ろうかと思っていたが、なんだかんだともう一杯何か飲みたく、マスターに、ホット・ウィスキーをお願いすると、ウィスキーよりもあれがいいかもなと呟きながら何やら作ってくれて、出されたのが、ホット・バタード・ラム。
c0316988_21372905.jpg
 ホット・バタード・ラムを飲むのはまるっきり初めてです。ラムをベースにしたカクテルで、角砂糖、ラム、熱湯、バターの順に入れて作るカクテルで、なかなか美味しい。こちらも体がポカポカと温まる。熱湯の代わりにホットミルクを入れる飲み方もあるみたいで、その場合、ホット・バタード・ラム・カウという名前になるらしい。全く知らなかった。
 ホット・バタード・ラムが美味くてグビグビ飲んでいると、隣席の2人組の年配女性が、自分たちが注文して食べていた、クラッカーのおつまみをくれた。それはクラッカーの上に缶詰のいわしがトッピングされ、さらにマスタードで味付けされていたのだが、これが美味いのである。マスタードが良いアクセントになっている。その2人組の女性は私のことを、「お孫さん」と呼び、「はい、お孫さん、もっとあるから食べなさい」と、もう一枚、さらにもう2枚と寄こしてごちそうしてくれました。

ホット・モスコーミュール、ホット・バタード・ラムにいわしのトッピングされたクラッカー。バーに飲みに来て健康的な気分になったのは、初めてで、しかもかなか病み付きになる組み合わせで、新しい発見でした。

 いわしクラッカーを何枚もごちそうになったので、お礼に女性が持ってきていたデジカメで、女性2人とマスターの3人写った記念写真を撮ってあげて、店を出ました。

 今度行ったら、ホット・バタード・ラム・カウを頼んでみようかな!!


by dazaiosamuh | 2018-01-12 21:49 | 太宰治 | Comments(0)

甲府市のすぐ近くに、湯村という温泉部落があって、そこのお湯が皮膚病に特効を有する由を聞いたので、家内をして毎日、湯村へ通わせることにした。』(美少女)

 太宰が書いた短編『美少女』の舞台となったとされる旅館明治は、湯村温泉旅館協同組合館から徒歩で僅か1,2分先にある。太宰が甲府の湯村温泉郷を始めて訪れたのは昭和14年6月頃だったとされている。この時、旅館明治も初めて訪れたとされる。更に昭和17年2月、旅館明治に滞在して『正義と微笑』を執筆。翌年昭和18年3月には、再び湯村の旅館明治に滞在し、『右大臣実朝』を執筆している。
c0316988_17012486.jpg
c0316988_17020017.jpg
『太宰治の宿 明治』とある。こういうのを見ると、太宰ゆかりの地に来たなあ、という実感が更に湧く。
c0316988_17023667.jpg
 旅館の中へ入ると、協同組合館・ゆかりの人物資料室の等身大の太宰治と同じポーズの太宰治がお出迎えしてくれる。
c0316988_17031416.jpg
 すぐ横には太宰治資料室がある。甲府での太宰治に関する資料が多く展示されている。太宰治次女・故津島佑子が旅館明治を訪れた際の記念の直筆サインが飾られていた。日付は1994年2月。大雪の日に訪れたようだ。
 この資料室で、太宰の甲府市でのゆかりの地について、太宰が訪れた場所の住所などもボードに記載されていたり、ガイドブックやパンフレットなどから、多くの情報を得ることができた。
 受付で貰った旅館明治について記載された3つ折りのパンフレットには、当時太宰が旅館明治で執筆した部屋の写真が載っており、『太宰は向って左主屋の一番二番の両室を占拠(?)して執筆していました。現在の「双葉」の間がその室にあたります。今はまわりに建物が出来たために見通しが悪くなってしまいましたが、当時は三方が開けていて、もっとも眺望の良い室でした。執筆は明るい二番の室で行い、床の間のある一番で寝起きしていました。太宰は朝寝坊だったらしいのですが、朝起きると必ず袴を着けて室に居たといいますから説通りかなりハイカラだったわけです。
 当館の者は最初は小説家とは知らず、係の者に聞くと何か書き物をしているとうのでかなり後になってわかったのです。
 たまには散歩に出ましたが訪問者もなく、殆ど一日中部屋に閉じこもって執筆していました。

 訪問者もなく、とあるが昭和17年2月に『正義と微笑』を執筆していた頃、弟子の堤重久が甲府を訪れ、さらに太宰の借りている旅館明治の部屋にまで訪れている。
甲府に着いた。まだ動いてる車窓から、改札口の向側に突立って、漠然とこちらを眺めている、のっぽの太宰さんが見えた。カーキ色の国民服が、幅を利かせてきた時節であったが、太宰さんはまだ、下駄履きの和服姿であった…(中略)…「『正義と微笑』順調のようですね。」「うん、なんていうのかなあ、すらすら、すらすらかけるんだね。そろそろ、おれも、脂ののる年頃になった感じだね」…(中略)…今度はバスに乗って、湯村の旅館にいった。十二、三日前から、太宰さんが仕事をしている宿屋で、湧湯があるとのことだった。二階の、太宰さんが借りている、正面の座敷に入って坐ると、手摺越しに、甲斐の山波が見えた。遠い山は薄蒼く、近い山は濃淡の緑を見せて、三方を取囲んでいた。』(堤重久著 『太宰治との七年間』)

 太宰が旅館明治に宿泊していたことを知る、貴重な証言です。太宰は二部屋を借りていたとのことですが、旅館のパンフレットには『当時の宿泊料金は一泊二円、昼食席料は一円でしたが、太宰は二円五十銭で泊り、帰りには現金で払ったのですから、生活が苦しかったとはいえ、一般の人よりは贅沢ではなかったかと思われます。』とある。二部屋を2円50銭で借りたのか、それとも一部屋につき2円50銭で借りたのか、どちらだったのでしょう。どちらにしても、普通の人よりはやはり贅沢だったようです。

 太宰がこの旅館で執筆した作品は『正義と微笑』『右大臣実朝』の2作品になります。

 次回も旅館明治について書きます。




by dazaiosamuh | 2018-01-11 17:07 | 太宰治 | Comments(0)

『Easy割烹 峠の茶屋』は現在は無く、残念であった。移転するとのことなので、新しくできたらまた訪ねてみようと思います。
 次に私は、ちょっと距離があるが湯村温泉郷へ向かいました。湯村温泉郷は、地図でみると近そうにみえるが、実際レンタサイクルでもなかなかの距離でした。太宰治の聖地巡りを始めてから、かれこれ5年目となるが、未だに地図上と実際の距離間がよく分からず、苦手です。昔から方向音痴なのです。

 湯村温泉郷には太宰治が実際に逗留し、執筆活動をした『旅館明治』があります。そして付近には湯村温泉旅館協同組合があるため、何か情報や甲府の太宰ゆかりの地図などが手に入るのではと思い、最初に来てみたのでした。
c0316988_12544441.jpg
 湯村温泉旅館協同組合がありましたが、横に太宰治の人物画が…。なんて分かりやすいんだ。
c0316988_12563110.jpg
 ゆかりの人物資料室と書いてあり、さっそく中を拝見させてもらう。
c0316988_12564967.jpg
 資料室は、協同組合の受付の方へも繋がっており、6畳ほどのスペースで、壁に太宰に関する資料が掲載されている。写真には写っていないが、棚があり、太宰だけでなく山梨に関する情報が掲載されたガイドブックなどが陳列されていた。
c0316988_12565866.jpg
c0316988_12582226.jpg
 等身大と思われる太宰治がいた。パンフレットには、『湯村温泉郷の、ゆかりの人物資料室で、新婚時代の若き太宰治と、記念撮影をしてみませんか?』と記載されているが、この等身大(実際より少し低いような気が…)の太宰は、1947年(昭和22年)に三鷹で撮影されたもので、心中して果てる僅か1年前の写真で、年齢的にはたしかにこの時は38歳頃で若いが、『新婚時代の若き太宰治』ではない。パンフレットの裏面には太宰の甲府でのゆかりの地が載っているので参考になる。資料室内では、太宰のゆかりの地などが書かれたガイドブック(35p~40p程の冊子 200円)も購入できる。一応全部買っておこうと思ってスタッフに頼んだら、1種類だけ売り切れていて手に入らなかった。もしかしたら観光案内所で手に入るかもしれないというので、仕方がないので、後で観光案内所で手に入れるか、図書館でコピーを取ることにし、資料室を出て、先に『旅館明治』へと向かいました。



by dazaiosamuh | 2018-01-07 13:02 | 太宰治 | Comments(0)

 新年あけましておめでとうございます。
 久しぶりの聖地めぐりの記事になります。今回は昨年訪れた甲府です。昨年といっても、8月の終り頃なのでかなり間がありますが…。
c0316988_12563961.jpg
 訪れたときは、当然ですが非常に暑く、暑さに弱い私にはなかなか酷な聖地めぐりでした。いつものことですが、レンタサイクルを活用(貸し出しを行っているのは駅ではなく周辺のホテルや旅館でした)

 まず最初に太宰が文学仲間と飲み交わした『峠の茶屋』をオマージュしたお店周辺へ向かいました(本当は最初に山梨県立文学館へ行きましたが割愛します)

 太宰が仲間と飲み交わしたと言われる峠の茶屋は東京ガスの東側にあったとされており、そのお店をオマージュした『Easy割烹 峠の茶屋』があります。
c0316988_12531617.jpg
 東京ガスのすぐ横には道路沿いに『太宰治の散歩道』と親切に説明の看板がありました。『太宰治は太平洋戦争中、水門町29番地(現 朝日一丁目)の美知子夫人実家から甲府駅北口を通り、東京ガス東側にあった『峠の茶屋』に通い、井伏鱒二、田中英光、一瀬稔らと酒を酌み交わし、文学や時勢を語り合った。更に。ここから桜町道踏切を渡り、舞鶴城脇を通って桜町、柳町などの中心街へと繰り出した。
 甲府は、太宰が、活き活きと暮らしたまちである。
 師である井伏を頼って山梨へ来て、そして石原美知子と無事結婚。心機一転、文学に力を注いでいく時期であるため、たしかに甲府は太宰が活き活きと暮らしたまちだ。
c0316988_12565681.jpg
c0316988_12535085.jpg
 すぐ横は太宰が通った桜町道踏切だ。この周辺にあった峠の茶屋で文学などを語り合い、この踏切を渡って柳町方面へと繰り出したのだ。踏切の前で、渡るわけでもなく、うろうろきょろきょろしていると、行き交う人たちからじろじろと見られた。たぶん私が線路に飛び込もうとしていると思っているのだろう、しかし、心配は入らない。太宰に想いを馳せているだけなのだ。
 ところで、その肝心の『Easy割烹 峠の茶屋』が見当たらない。HPだとたしかにこの付近にあるはずだ。仕方なくすぐ近くにあるインドカレー屋さんで尋ねてみると、インド人のスタッフが「横にありました。」と片言の日本語で答えました。
 ありました? 過去形だった。嫌な予感がしたが、まだ日本語に不慣れなため、てっきり日本語を間違えたのかと思い、聞き直すと、「いまはありません」とはっきり片言で言い放った。
c0316988_12533448.jpg
 どうやらこの空地に『Easy割烹 峠の茶屋』はあったようです。HPにたしかに載っているが、閉店してしまったようです。あとで再びHPを見ると、小さく赤文字で、移転する旨の内容が記載されていました。その移転もいつになるのか未定のままです。

 ここで何か太宰に関する話が聞けるかと思っていましたが、残念です。


by dazaiosamuh | 2018-01-02 13:06 | 太宰治 | Comments(0)