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『太宰治文学 海外の評価』

 太宰治文学はどのように読まれ、どのような視点で考察され、評価されてきたのか。
 タイトルの書籍『太宰治文学 海外の評価』武田勝彦編は、1985年の古い本だが、海外の評論家、文学研究者などの私見、考察が書かれており、非常に参考になった。

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 太宰治の読者で経験のある人もいると思うが、太宰の小説は読む者の心に入り込んで、まるで自分のことを分かってくれる唯一無二の存在だと思わせるような上手さがある。そして作品の枠を超え、気づけば作品の登場人物ではなく、作者である太宰治の味方になっている。いつの間にか関心が太宰に向いているのだ。
 本書で、ハイメ・フェルナンデスという方が『「父」 耐え難きことを耐えて』の中で、
太宰治が一九四七年四月に発表した優れた私小説ふうな短編「父」を最初に読み終えた時、不愉快と、苛立ちの相半ばする複雑な感情にかられた。
 …(中略)…
 文学作品を批評するに当っては、作品を繰り返し読み、作品を客観的に捉え、単なる個人的感情を捨て去る確固たる方法論が必要であるが、太宰の作品を取り扱うには、こうした態度がなおさら必要とされるのだ。というのは、作品を批判的に研究する際に太宰の作品の中には避けて通らねばならない二つの落とし穴がひそんでいるからである。落とし穴の一つは、太宰の作品は、精神的に動揺した彼自身の生活の反照となって描かれていることがあって、太宰の感情的な主張が強く、そのために批評家が極めて主観的な反応を示すことになりかねないのだ。もう一つの落とし穴は、ドナルド・キーンが指摘しているように、批評家は、「作品を太宰の性格や信条を引き出す源泉と考えたり、あるいは、太宰個人と作品のテーマとの関連性を確かめる手段とする」態度を取ることである。
と書いている。
 日本語がどのように翻訳されているのかは分からないが、海外の人も太宰作品を読むと、感情的に引きずられてしまう。

 また他にも、海外の太宰研究者の間でも意見が分かれるのが、『人間失格』は私小説か否か。
 長くなるのでここでは書かないが、太宰の過去の経験、体験や作品『道化の華』を引き合いに出したりなど、さまざまな考察から『人間失格』を私小説ふうな筆致になっていると述べている。

 作家であり、編集者、評論家でもある臼井吉見は、『人間失格』を『日本の私小説の伝統はここでもっとも現代的な性格において開花した』と評価していた。

 私も『人間失格』は私小説だと思う。(そうじゃなくても内容自体は面白いから別にかまわないが)

 皆さんはどうでしょうか?

by dazaiosamuh | 2025-11-22 11:57 | 太宰治 | Comments(0)