小説『津軽』の太宰治の鯛を調理した人が判明!?

 太宰治の新たな情報が入った。なんでも小説『津軽』で太宰が自分で購入した鯛を宿で調理してもらった人が判明したのだという。というのも、『津軽』を読んだ人なら分かるが、太宰は故郷・津軽についての小説を書くためにN君、Mさんと一緒に歩いてまわっていた。途中、リヤカーにいっぱい積まれた魚を見て、二尺くらいある鯛を一円七十銭で、つい買ってしまった。つまらんものを買ったねえとN君たちに軽蔑されながらも歩き進め、日が暮れかけた時刻に何とか三厩の宿に落ち着いた。
 宿で太宰はリュックから鯛の包を取り出し、女中に、『これは鯛ですけどね、これをこのまま塩焼きにして持って来て下さい』と言った。なんだかあまり悧巧そうでない女中に、何か不安を感じ取ったのか、N君は、『そのまま塩焼きにするんですよ。三人だからと言って、三つに切らなくてもいいのですよ。ことさらに、三等分の必要はないんですよ。分かりましたか』と、あまり上手とは言えない説明をした。この女中、先ほどから、返事は「はあ」しか言わない。持参した酒を三人で呑み交わしているうちに鯛が出た。

ことさらに三つに切らなくてもいいというN君の注意が、実に馬鹿々々しい結果になっていたのである。頭も尾も骨もなく、ただ鯛の切身の塩焼きが五片ばかり、何の風情も無く白茶けて皿に載っているのである。私は決して、たべものにこだわっているのではない。食いたくて、二尺の鯛を買ったのではない。読者は、わかってくれるだろうと思う。私はそれを一尾の原形のままで焼いてもらって、そうしてそれを大皿に載せて眺めたかったのである。食う食わないは主要な問題でないのだ。私はそれを眺めながらお酒を飲み、ゆたかな気分になりたかったのである。ことさらに三つに切らなくてもいい、というN君の言い方もへんだったが、そんなら五つに切りましょうと考えるこの宿の者の無神経が、癪にさわるやら、うらめしいやら、私は全く地団駄を踏む思いであった。
「つまらねえ事をしてくれた」お皿に愚かしく積まれてある五切れのやきざかな(それはもう鯛では無い、単なる、やきざかなだ)を眺めて、私は、泣きたく思った。せめて、刺身にでもしてもらったのなら、まだ、あきらめもつくと思った。頭や骨はどうしたろう。大きい見事な頭だったのに、捨てちゃったのかしら。さかなの豊富な地方の宿は、かえって、さかなに鈍感になって、料理法も何も知りやしない。…(中略)…いま思い出しても、あの鯛は、くやしい。だいたい、無神経だ。

小説『津軽』は全編を通して面白く印象深いが、この鯛事件も『津軽』の中で印象に残りやすく、読んだことのある方はこの場面で太宰に同情したことを覚えているだろう。
 そしてなんと、この鯛を調理した人物が判明したというのだ。その料理した人物を特定したのは、元三厩村役場総務課職員だった外ヶ浜町三厩の牧野和香子さん(67)という方のようで、1年に及ぶ独自の調査により探し当てたという。実に素晴らしい。まさか『津軽』のこの鯛を調理した人を探し当てるとは…。詳細はまだ分からない。『津軽』を執筆するために、太宰が故郷を歩いたのは昭和19年5月のこと。太宰たちが泊まった旅館というのは丸山旅館のことで、すでにない。よくぞ探し当てたと思う。しかし75年前のことだ。その調理した方はもう亡くなられているのだろうか。
 詳細な情報があとで出るのかどうか、待ち遠しい。


by dazaiosamuh | 2018-12-23 21:28 | 太宰治 | Comments(0)