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太宰治名作『富嶽百景』の富士山を登ってみた!! ②頂上へ!!

 山小屋で寝るも3時間後には目が覚めてしまった。これ以上眠れそうにないので身支度を整えて、先に起きている同僚と談話しながら、再び登るその時を待つが、なんと、7人のうち私ともう一人のその同僚の二人のみで、残り5人は体調不良によりダウンとなってしまった。そんな心細いまま夜中1時に頂上目指して登山がスタート。
 夜中は寒いためパーカーやレインウェア、ダウンジャケットを着込むが、風が強く手袋(私は軍手)をしても手が冷たくなる。顔も寒いためダウンジャケットのフードを被るが、動きにくい。明かりはヘッドライトが頼りだが、どうにも締め付けられるのが嫌なのと、煩わしかったので外す。すると頭が軽くなりむしろ歩きやすくなった。列を成す登山客のヘッドライトの明かりが沢山あるため、別段、自分がヘッドライトを付けなくても足元はそれほど暗くなく一度も躓くことも無かった。
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 写真は1時半頃。手が冷たくて上手く動かせなかったのもあり、ぼやけてしまいました。上の明かりは町中で、下の波打っている明かりは我々登山客のヘッドライトです。
 同僚二人と雑談しながら登るが、やはり前日の疲れもあり徐々に口数も減ってくる。同僚がふいに、「オレは、何でこんなことをしているのだろう…」とぼそりと言い出す。そんなこと言わないでくれ、心が折れそうになる。しかし、自分も内心、「山小屋に残った5人は今頃ぐっすりと寝ているのだろうな、いいなあ、俺もリタイアして寝てりゃあ良かった…」と何度も心の内で弱音を吐いてしまった。しかし、ふと心に『富嶽百景』の一節が思い出された。
三七七八米の富士の山と、立派に相対峙し、みじんもゆるがず、なんと言うのか、金剛力草とでも言いたいくらい、けなげにすっくと立っていたあの月見草は、よかった。富士には月見草がよく似合う。
 月見草は富士山を前に堂々と『立派に相対峙し、みじんもゆるがず』立っていたのだ。太宰の描いた月見草は素晴らしい。自分と富士山と比べればちっぽけで、富士山から見向きもされないだろう、月見草のように立派に相対峙するほどの人間でもない、ならばせめて、この足で頂上まで登ってやる、そんな気持ちが密かに胸中で心の火が燃え上がってくるのが実感され、岩場を登る際のふんばりに力が入った。それからは頂上までの時間があっというまで、たしかに過酷であったが、出発から約3時間後の4時頃に頂上に到達した。
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 頂上から撮った4時50分頃の写真。
 頂上はやはり寒かった。寒さに耐えきれず同僚と二人で豚汁(800円)を食べたが、こんなに豚汁が美味く有難いと思った事は無い。しかし、そんな中、頂上で半袖にハーフパンツの外国人がいた。信じられない。いくら登ってきて身体が熱くなったからといっても、この時の頂上は気温4~6度くらいで、強風もあり、御鉢巡りは中止になったくらいだ。(御鉢巡りが中止となったのは本当に残念であった。)
 御来光の出るまで神社で手を合わせたり、同僚は御朱印をしてもらったりなどしてその時を待った。
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 写真、中央の湖は河口湖で、その先の方角には太宰治が滞在し嫌というほど富士山と向き合った場所である御坂峠の天下茶屋がある。ここからははっきりとは見えない。それでも、太宰が富士を眺めた御坂峠を、富士山頂上から眺め見るのは、なんだか感慨深いものがある。まわりの人たちは皆、御来光が顔を出す方角に向かって一生懸命にカメラを構えたり、場所取りをしている。
 私と同僚もそれにならってそちらの方角を眺めていると、次第にその姿を焦らすかのようにゆっくりと見せ始めた。
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 頭を出すところがなんとも可愛らしい。
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 初めての富士山頂上からの御来光です。ありがたい!!なんともありがたい!! 登って良かった!! と素直に思える。苦難を乗り越えたからこその喜びである。
 この時の富士山の印象、想いは太宰の言葉を借りれば、
「いいねえ。富士は、やっぱり、いいとこあるねえ。よくやってるなあ」富士には、かなわないと思った。念々と動く自分の愛憎が恥ずかしく、富士は、やっぱり偉い、と思った。よくやってる、と思った。

 本当に富士にはかなわないと思った。この日を決して忘れない。
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 写真は火口で、御鉢巡りができないのでせめて近づいて写真を撮ろうと思ったが、ロープでそれ以上近づけないようになっていたため、火口を覗くことができなかった。しかし御鉢巡りができなかったことは残念であったが、今回はこれで良かったのかもしれない。いつかまた来る日のお楽しみだ。
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 御来光をたっぷりとこの目に焼き付け、パワーをもらい、5時15分過ぎくらいに下山。下山は自分のペースで進んでよいとのことで、山小屋の5人もすでに下山していると思い、私と同僚は二人で山小屋を出た5人に追いつく気持でハイペースで下りた。頂上までの行きで体力を相当消耗し疲労困憊であったように思われたが、御来光の力なのか、それほど疲れることなく下りる事ができ、五合目のスタートした施設に到着する前に5人に追いつくことができた。登りは5合目から頂上まで8時間半ほどであったが、下山は頂上から5合目まで2時間半であった。登りのスタート直後、ガイドが、「下りて来る人の顔はみな笑顔がない」と言っていたが、思ったほど疲れはなく、体調を悪くした5人もしっかり回復し、7人全員笑顔で帰って来ることができた。

 今回、まさか太宰治の名作の主役ともいえる富士山を登ることができ、また頂上まで到達し御来光を拝むことが出来て、感慨無量であった。
 今思えば、私がはじめて歩いた太宰治のゆかりの地は、御坂峠の天下茶屋であった。残念ながら富士は顔を出してくれなかったが、初めての聖地巡りだったためとても印象に残っている。すでにあれから6年が経つ。早いものだ。
 昭和13年9月、太宰治は師である井伏鱒二の勧めにより、それまでの怠惰な生活にピリオドを打ち、再起をかけて「思ひをあらたにする覚悟」で御坂峠の天下茶屋へとやってきた。嫌というほど富士と対峙し、また翌年には甲府で石原美知子と見合い、結婚し、その「思ひをあらたにする覚悟」に偽りはなく、その後の作品は、さんざん述べたように『富嶽百景』や『女生徒』『駆込み訴え』『走れメロス』などの明るく、健やかな作風を思わせる作品を次々と世に出していく。
 これには富士の助力があったことであろう。太宰治と富士は切っても切り離すことはできない。

 私もせっかく富士山から、そしてその頂上から見た御来光から力をもらったのだから、「思ひをあらたにする覚悟」で色々なことに挑戦し、懸命に生きていきたいと思う。
 

Commented by tarukosatoko at 2018-09-08 17:00
富士登山、素晴らしいです。富士登山はこんなふうなのかと、読みごたえがありました。
これを機に、ますます前に進んでください。
応援しています!
Commented by ruolin0401 at 2018-09-09 18:29
初めまして
太宰治と富士山へのお気持ちが現れていた、
富士登山紀行の前後篇とも拝読させて頂きました。
登頂おめでとうございます。
お疲れさまでした。
太宰治が観たであろう天下茶屋からの富士山は四季それぞれ美しい姿を見せてくれますね。
Commented by dazaiosamuh at 2018-09-10 19:54
> tarukosatokoさん、登山自体が初めてでもあったためか、思っていた以上に大変でした。慣れてる登山者はスイスイ登っていましたよ。
富士山と御来光からパワーをもらったのでこれからも頑張ります!
Commented by dazaiosamuh at 2018-09-10 20:02
> ruolin0401さん、はじめましてこんにちは。
登頂祝福ありがとうございます。
太宰治は昭和13年9月中旬から11月中旬頃まで天下茶屋に逗留していました。太宰はどんな景色の富士山を見ていたのでしょうね。
私が天下茶屋を訪れた時は、雲に覆われて、照れているのか富士山は顔を出してくれませんでした。私も季節が見せる美しい姿の富士を色々と観てみたいです。これから少しずつでも訪れて見にいきたいと思います。
Commented by ruolin0401 at 2018-09-10 22:01
お世話様です
ご丁寧に当方ブログにコメントありがとうございます。
失礼ですが太宰治ファンお見受けしましたが。
太宰治が「富士には月見草が似あう」と詠った月見草の花は
待宵草だったそうですね。富士山麓に群生している待宵草を月見草と言う人は多いようです。
太宰治の眠っている墓所を訪れた事があります。
Commented by dazaiosamuh at 2018-09-12 21:08
> ruolin0401さん、こんにちは。
太宰治が名言を残したそのセリフは、太宰治研究者の間でも疑問とされてきました。ただ研究者の間でも言われているように、太宰はあえて白く咲く月見草のことを「黄金色の月見草の花ひとつ…」と書いたのかもしれません。(太宰のただの勘違いもありえますが本当のところは分かりません)
太宰は事実をありのまま書かずに、それでいて、しかもそれを読者にまるで眼前に展開されるようなリアルな印象を与える天才でしたから、「富士には、月見草がよく似合う」で良かったのかもしれません。「待宵草がよく似合う」だとなんだかしっくりきませんし…。
待宵草を月見草と言う人が多い原因は、もしかして太宰の「富嶽百景」の影響でしょうか?
墓所は私も何度も訪れています。なぜか墓前に行くと緊張というか、何を語りかけたらいいのか急に何も言えなくなってしまいます。意識し過ぎかもしれません。
by dazaiosamuh | 2018-09-07 23:46 | 太宰治 | Comments(6)