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太宰治と甲府 №23 師・井伏鱒二と呑んだ梅ヶ枝旅館跡

 太宰治がよく飲みに行った場所で判明しているのが、舞鶴城公園の南側にあった梅ヶ枝旅館。太宰はそこで井伏鱒二などと一緒によく飲んでいたようだ。さらに山梨在住の文化人ともよく会っていたようで、その飲み場の一つにもやはり梅ヶ枝旅館があった。

 最初、梅ヶ枝旅館の詳しい場所が分からなかったが、場所を特定するにあたって、太宰の滞在した旅館明治を訪れた際に偶然に梅ヶ枝旅館の詳細な住所を知ることができた。旅館明治の館内にある太宰治コーナーに、『太宰治の足跡』と書かれたプレートが壁に掛けてあり、そこに梅ヶ枝旅館跡の住所と地図が記載されていたのだ。
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 梅ヶ枝旅館は現在の丸の内1-9-5にあったようだ。地図の⑤番の場所になる。
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 ここが現在の丸の内1-9-5で、梅ヶ枝旅館跡になります。現在は駐車場となっており面影は何もないように思われる。
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 この跡地を歩き廻ってよく見てみると、旅館がかつてあったであろうと思われる、石柱?石塀?というのかそれらしきものがあった。梅ヶ枝旅館は平成20年3月に閉館した。雑誌などの写真から当時の風情ある佇まいを伺うことはできる。なんでも小振りではあるが粋な感じの旅館であったとのことだ。
 昭和20年4月11日、甲府の石原家で土産に買った鶏二羽の羽を小山清と挘っていたところへ、井伏鱒二が訪れ、三人で梅ヶ枝へ行き酒盃を傾けた。この時に、太宰は井伏から小山初代が青島で死んだことを知らされたという。翌12日、太宰治、井伏鱒二、小山清と三人で、妻・美知子の作ってくれた弁当を持参して武田神社に花見に行った。
 梅ヶ枝旅館は、太宰が最初の妻・小山初代の死を知らされた重要な場所であった。太宰にとっては、胸の痛む思い出の場所となってしまっただろうか。

 太宰治に限ったことではないが、ゆかりの建物が無くなっていくのは本当に残念だ。せめてここにかつてこれがあり、彼はここへやってきたのだというのを発信し、伝わってくれればと思う。

 太宰治と甲府の記事は長くなったが、次回で終了になります。


by dazaiosamuh | 2018-08-25 15:28 | 太宰治 | Comments(0)