太宰治と甲府 №22 『新樹の言葉』と動物園

 『新樹の言葉』は今回で最後になります。
 望富閣でさんざん飲んで眠り込んだ主人公であったが、それから二日目の夜中の2時過ぎに火事の騒ぎに気付く。
宿からは、よほど離れている。けれども、今夜は全くの無風なので、焔は思うさま伸び伸びと天に舞いあがり立ちのぼり、めらめら燃える焔のけはいが、ここまではっきり聞こえるようで、ふるえるほどに壮観であった。ふと見ると、月夜で、富士がほのかに見えて、気のせいか、富士も焔に照らされて薄紅色になっている。四辺の山々の姿も、やはりなんだか汗ばんで、紅潮しているように見えるのである。甲府の火事は、沼の底の大焚火だ。

 一軒や二軒の火事の焔によって富士山が照らされるものなのだろうか。他にも太宰は『富嶽百景』のなかで、夜中に外に出かけたとき、『おそろしく、明るい月夜だった。富士が、よかった。月光を受けて、青く透きとおるようで、私は、狐に化かされているような気がした。富士が、したたるように青いのだ』と書いている。
 月光を受けてしたたるように青い富士と、火事の焔によって薄紅色に照らされた富士。対照的に描かれている。嫌というほど甲府で富士と対峙した太宰の甲府を舞台にした作品の背後にはいつでも富士がおり、豊かな色彩感覚によって表現されているように思われる。

 主人公はふと先日の望富閣を思い出し、おもわず甲府駅まで駆けていた。まわりの人々が口々に柳町、望富閣、と叫び合い、お城へとのぼっていたため、『人々のあとについて行き、舞鶴城跡の石の段々を、多少ぶるぶる震えながらのぼっていって、やっと石垣の上の広場にたどりつき、見ると、すぐ真下に、火事が、轟々凄惨の音をたてて燃えていた。
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 写真は現在の舞鶴城公園。天気もよく気持がいい。しかし、望富閣(モデルは望仙閣)のあった場所から轟々凄惨の音はさすがに距離があり聞えないであろう。
とんと肩をたたかれた。振りむくと、うしろに、幸吉兄妹が微笑して立っている。
「あ、焼けたね。」私は、舌がもつれて、はっきり、うまく言えなかった。
「ええ、焼ける家だったのですね。父も、母も、仕合わせでしたね。」焔の光を受けて並んで立っている幸吉兄妹の姿は、どこか凛として美しかった。「あ、裏二階のほうにも火がまわっちゃったらしいな。全焼ですね。」幸吉は、ひとりでそう呟いて、微笑した。
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 写真は望富閣のある方角ではないが、激しく燃える音と同様に、たとえ現在のように高い建物が無いにしても舞鶴城跡からは燃えている様子が詳しくはっきりとは見えないはず。主人公の乳母が居た家に火事が起き、そして主人公の乳母の子供たち・幸吉兄妹は育った家を失うが、これは、太宰が甲府で気持ちを新たに妻・美知子を持ち、文筆に打ち込み、決して金木の生家を頼らない、頼らずとも強く生きていく、という再出発へ懸ける強い思いの表れなのではないかと私は考えている。

けだものの咆哮の声が、間断なく聞こえる。
「なんだろう。」私は先刻から不審であった。
「すぐ裏に、公園の動物園があるのよ。」妹が教えてくれた。「ライオンなんか、逃げ出しちゃたいへんね。」くったく無く笑っている。
 君たちは、幸福だ。大勝利だ。そうして、もっと、もっと仕合せになれる。私は大きく腕組みして、それでも、やはりぶるぶる震えながら、こっそり力こぶいれていたのである。
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 『公園の動物園』というのは、現在の甲府市遊亀公園附属動物園のことで、太田町公園とも呼ばれている。大正8年(1919)に開業した。調べていて知ったのだが、東京都・恩賜上野動物園、京都府・京都市動物園、大阪府・大阪市天王寺動物園に次いで日本で4番目にできた動物園とのことで、歴史は古い。
 遊亀公園内の南隅にあり、たしかに望仙閣跡付近の裏側に位置する。
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 ここを訪れたときは非常に暑かったが、楽しそうに水遊びするペンギンを見て癒された。ペンギンは、いつ、どこで見ても可愛いもんですね。
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 マレーグマは毛が短くスマートなクマとのことだが、なんだかちょっとひ弱そうに見えるのは私だけでしょうか…。さっぱりし過ぎな気もしないでもない。
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 水遊びをするゾウさん。この日は日差しが強かったから見物客どころじゃなかっただろう。
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 ポニーは可愛いですね。木影でのんびりしています。家で飼いたいです。
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 寄り添うライオン。いや、寄り添っているのではなく、雄は雌ライオンの横で眠りこけている。
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 しかもよく見ると、目が半開きだ。ライオンは寝ている時、このように完全に瞼を閉じないのでしょうか。動物には詳しくないのでよく分かりません。雌は退屈そうに虚ろな目でこちらを見ている…。食う、寝る、歩く、ぼーっとする。これしかすることがないもんなあ…。
『けだものの咆哮の声が間断なく聞こえる』とあったが、こんな平和ボケしていたらいざという時に大声で咆哮など出せないのではないかと大きなお世話かもしれないが勝手に心配してしまった。
 この附属動物園は昭和20年(1945)7月6日の甲府空襲により全焼し廃園となるが、戦後、民間に一時貸出されていたが、甲府市に移管され再び市営動物園として再開し、改修を行い、昭和32年(1957)12月、都市公園指定を受け、甲府市遊亀公園附属動物園と名称し現在に至る。

『新樹の言葉』の最後に、
『君たちは、幸福だ。大勝利だ。そうして、もっと、もっと仕合せになれる。私は大きく腕組みして、それでも、やはりぶるぶる震えながら、こっそり力こぶいれていたのである。』とあり、幸吉兄妹に対して言っているかに見えるが、じつは幸吉は太宰自身でありしたがって自分に対して言い聞かせているのだろうと思われる。『こっそり力こぶいれていた』という部分からもその強い意気込みを感じずにはいられない。

 『新樹の言葉』はこれで最後になりますが、甲府はもう少しだけ続きます。


by dazaiosamuh | 2018-08-18 17:40 | 太宰治 | Comments(0)