太宰治と甲府 №21 『新樹の言葉』と望仙閣

 甲府の記事がだらだらと続いて遅れてしまっていますが、気を取り直して再開です。

『新樹の言葉』で、ある日主人公は郵便屋さんに呼び止められ、あなたは幸吉さんのお兄さんだという。主人公は違うと言うが、納得しない。そこでその幸吉という人物に会いに行くが、実は、津軽で主人公の乳母をしていた「つる」という女性の息子であった。つるは主人公を息子同然に愛し育てた。そのため幸吉は主人公のことを本当の兄のように慕っていたのだ。こうして再会し、話は進んで行く。乳母のつるはすでに13年前に亡くなり、またつるの夫は井戸に身を投げて死んだという。しかし、幸吉には4つ下の21歳の妹がおり、大丸デパアトで働いている(その大丸デパアトのモデルというのが、№19で書いた松林軒である)。
 そして幸吉は、ある料亭に主人公を招待する。
見ると、やはり黒ずんだ間口十間ほどもある古風の料亭である。
「よすぎる。たかいんじゃないか?」私の財布には、五円紙幣一枚と、それから小銭が二、三円あるだけだった。
「いいのです。かまいません。」幸吉さんは、へんに意気込んでいた
「たかいぞ、きっと、この家は。」私は、どうも気がすすまないのである。大きい朱色の額に、きざみ込まれた望富閣という名前からして、ひどくものものしく、たかそうに思われた。
「僕も、はじめてなんですが、」幸吉さんも、少しひるんで、そう小声で告白して、それから、ちょっと気を取り直し、「いいんだ。かまわない。ここでなくちゃいけないんだ。さ、はいりましょう。」
 何かわけがあるらしかった。
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 その料亭、望富閣というのは、太田町公園(市立遊亀動物公園)の西南隅にあった望仙閣のことらしい。詳細は不明で曖昧であるが、料亭・望仙閣は創業明治18年で太田町に築かれたのは明治21年(1888)のことらしく、昭和20年7月6日の甲府空襲で焼失してしまった。
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 公園・西南隅の望仙閣跡付近の写真です。その周辺に美容院があったので、その店のスタッフに望仙閣が当時ここにあったのかどうか聞いてみると、料亭が昔この付近にあったという話は聞いている、とのことであった。その料亭がやはり望仙閣であると思われる。そんな話をしていると、美容院の眼鏡をかけた綺麗な女性スタッフが果物のマスカットを何粒か持ってきて、どうぞ食べて下さいと渡してきた。この動物公園まで自転車で汗だくになりながら来たので、よく冷えたマスカットの甘味が体に染み渡った。なぜそんなことを調べているのかと聞くので、ここが太宰治の作品『新樹の言葉』に登場する場所で、自分は趣味でゆかりの地を歩いている、と答えると、太宰治?そうなんですか!と驚き、目を丸くしきょとんとしていた。どういう風に思ってくれたのかは分からないが、去り際、暑いですが頑張ってくださいと言ってくれた。

 話は新樹の言葉に戻り、料亭・望富閣に入った主人公と幸吉。はじめて入ったと幸吉は言うが、「表二階の八畳がいい」「やあ、階段もひろくしたんだね」といい、部屋に通されると「ここは、ちっともかわらんな」などと呟き、そうして主人公に向かってニコニコしながら、『ここは、ね、僕の家だったのです。いつか、いちどは来てみたいと思っていたのですが。』と語りだした。
 そう、ここは、幸吉の父が昔建てた呉服屋で、つまり幸吉の懐かしい家だったのだ。今では人手に渡り、料亭となっていたのだ。
 主人公は憐憫の情を幸吉に抱きつつ、二人で酒を呑み始めるが、『なにせ、どうも、乳母のつるが、毎日せっせと針仕事していた、その同じ箇所にあぐらをかいて坐って、酒をのんでいるのでは、うまく酔えよう道理が無かった。ふと見ると、すぐ傍に、背中を丸くして縫いものしているつるが、ちゃんと坐って居るようで、とても、のんびり落ちついて幸吉と語れなかった。
 そうして、がぶがぶと酒を呑んで、べらぼうに幸吉に向かって難題をふっかけたりし、『しょげちゃいけない。いいか、君のお父さんと、それから、君のお母さんと、おふたりが力を合わせて、この家を建設した。それから、運がわるく、また、この家を手放した。けれども、私が、もし君のお父さん、お母さんだったら、べつにそれを悲しまないね。子供が、二人とも、立派に成長して、よその人にも、うしろ指一本さされず、爽快に、その日その日を送って、こんなに嬉しいことじゃないか。大勝利だ。ヴィクトリイだ。なんだい、こんな家の一つや二つ。恋着しちゃいけない。投げ捨てよ、過去の森。自愛だ。私がついている。泣くやつがあるか。
 そうして酔いつぶれて寝ころんで、いつの間にか枕元に来ていた幸吉の妹に、乳母つるの面影を見い出すと、悪酔いも涼しくほどけて、全く安心して眠ってしまった。そうして半分夢の中で、自動車に揺られながら、幸吉兄妹に宿まで送ってもらい、翌る日の正午までだらしなく眠り込むのであった。

 望仙閣の正確な跡地はちょっと分からない。動物公園の西南隅とのことで、載せた写真の付近にあったと思われます。実際に太宰が料亭・望仙閣に来たのかも曖昧で引き続き調べていきたい。
『新樹の言葉』の記事は次回で終了予定。



by dazaiosamuh | 2018-08-05 13:52 | 太宰治 | Comments(0)