遠い空の向こうへ

tushima.exblog.jp

太宰についてほそぼそと記事を書いてます

ブログトップ

太宰治と甲府 №17 『春昼』に登場・武田神社

 甲府・御崎町周辺の太宰ゆかりの地を大方歩き回った私は、ちょっと距離があるが武田神社へ行くことにしました。
 それにしても武田神社にはレンタサイクル(電動)で行ったのですが、思っていた以上に距離があり、電動自転車とはいえなかなか酷で、到着した頃には太腿がぱんぱんでしかも時期が8月だったもんだから、全身汗だくで、非常に汗臭い状態で神社に入った記憶があります。
c0316988_19574116.jpg
 太宰は昭和14年6月1日付発行の『月刊文章』6月号に『春昼(しんちゅう)』という随筆を発表しており、その中で武田神社を訪れた様子が描かれている。
c0316988_19581104.jpg
 神橋を渡り鳥居の前まで行くと、鳥居のすぐ右脇に、太宰がここを訪れたことを示す看板があり、太宰のその『春昼』が全文ではないが引用されていた。せっかくなので全文載せます。以下、赤文字は『春昼(しんちゅう)』
四月十一日。
 甲府のまちはずれに仮の住居をいとなみ、早く東京へ帰住したく、つとめていても、なかなかままにならず、もう、半年ちかく経ってしまった。けさは上天気ゆえ、家内と妹を連れて、武田神社へ、桜を見に行く。母をも誘ったのであるが、母は、おなかの工合い悪く留守。武田神社は、武田信玄を祭ってあって、毎年、四月十二日に大祭があり、そのころには、ちょうど境内の桜が満開なのである。四月十二日は、信玄が生れた日だとか、死んだ日だとこあ、家内も妹も仔細らしく説明して呉れるのだが、私には、それが怪しく思われる。サクラの満開の日と、生れた日と、こんなにピッタリ合うなんて、なんだか、怪しい。話がうますぎると思う。神主さんの、からくりではないかとさえ、疑いたくなるのである。

 看板には『太宰治の愛でた桜』とあり、横には桜の木がある。きっと春には綺麗な桜を咲かせて、訪れる人々を迎えてくれるのだろう。太宰の有名な頬杖ポーズの写真も載っており、訪れた人のなかには熱心に読んでいく人の姿も多く見受けられた。それにしても、太宰は実際に武田神社に来たのだろうか。
c0316988_19593736.jpg
c0316988_19585153.jpg
桜は、こぼれるように咲いていた。
「散らず、散らずみ。」
「いや、散りず、散りずみ。」
「ちがいます。散りみ、散り、みず。」
 みんな笑った。
 お祭りのまえの日、というものは、清潔で若々しく、しんと緊張していていいものだ。境内は、塵一つとどめず掃き清められていた。
「展覧会の招待日みたいだ。きょう来て、いいことをしたね。」
「あたし、桜を見ていると、蛙の卵の、あのかたまりを思い出して、……」家内は、無風流である。
「それは、いけないね。くるしいだろうね。」
「ええ、とても。困ってしまうの。なるべく思い出さないようにしているのですけれど。いちど、でも、あの卵のかたまりを見ちゃったので、……離れないの。」
「僕は、食塩の山を思い出すのだが。」これも、あまり風流とは、言えない。
「蛙の卵よりは、いいのね。」妹が意見を述べる。「あたしは、真白い半紙を思い出す。だって、桜には、においがちっとも無いのだもの。」
 においが有るか無いか、立ちどまって、ちょっと静かにしていたら、においより先に、あぶの羽音が聞えて来た。
 蜜蜂の羽音かも知れない。
 四月十一日の春昼。

『春昼』にあるように、境内は本当に綺麗に掃き清められ、天気が良かったこともあり、清々しい気持であった。気持ち悪かった全身の汗も、気づいたら引いていた。神社に来ると、気持ちが落ち着くから不思議だ。
 武田神社は、言うまでもないが武田信玄公を祀った神社で、信玄公の父である信虎公が1519年(永正16年)に石和より移した躑躅ヶ崎館跡に、1919年(大正8年)に創建された。武田信玄の命日にあたる4月12日には初の例祭が行われ、現在も毎年信玄公祭りが開催されている。
 ところで太宰は実際に武田神社へ来たことがあるのだろうか。『春昼』に対して、『この文章では、どうも、本当に出かけた感じが伝わってこない』と書いている書籍もあった。歩いて武田神社に行くには結構な時間がかかる。そうそういつも来れるわけではないはずだが、気分転換に、一度は来た事があるのではと私は思っているが…。
c0316988_20002136.jpg
c0316988_20010619.jpg
 さすがに電動のレンタサイクルとはいえ疲れたので、信玄アイスを買って食べました。きな粉と黒蜜がかかっており、甘くてとても美味しかった。アイスにきな粉と黒蜜の組み合わせは最強ですね。
 帰りは長い下り坂なので、気持ちの良い風を受けながら、来るときの苦労を吹き飛ばすかのように下って行きました。


[PR]
by dazaiosamuh | 2018-05-14 08:26 | 太宰治 | Comments(0)

by 黒森 富治大(くろもり ふじお)