太宰治と甲府 №12 毎日通った銭湯『喜久の湯』

 甲府には太宰治が通った銭湯が今でも残っている。昭和9年(1934)創業の天然温泉、『喜久の湯』だ。写真は現在の喜久の湯。
 
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 妻・美知子の『回想の太宰治』によると、太宰は、『毎日午後三時頃まで机に向かい、それから近くの喜久之湯に行く。その間に支度しておりて、夕方から飲み始め、夜九時頃までに、六、七合飲んで、ときには「お俊伝兵衛」や「朝顔日記」、「鮨やのお里」の一節を語ったり、歌舞伎の声色を使ったりした。「ブルタス、お前もか」などと言い出して手こずることもあった。』らしい。

 この喜久の湯は、一般的な銭湯と違い、湯沸かし湯ではなく、天然温泉が使われている。それもあってか、私が訪れた時まわりのお客さんは皆、お肌がつるつるな印象を受けた。自分も将来、年を重ねても綺麗な肌でいたいものだ。昔はお風呂が家にない家庭がほとんどだった。今ではその逆で風呂があるのが当たり前で、銭湯を利用する人はいなくなってきている。それでもこれだけ多くの人に愛され、利用されるというのはすごいことだ。建物の外壁などは改装されているが、中はというと、昔ながらの銭湯だ。ここには今でも昭和が残っている。
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 番台を見るのも久しぶりだ。脱衣所には木の鍵のロッカーがある。壁に貼られた古い広告なども目を引く。番台に座るおばあちゃんに、太宰治について尋ねると、「その当時は、まだ有名な人ではなかったから、記憶に残っている人もほとんどいない。」と言っていた。たしかにそのとおりだ。しかし、太宰が住んだ御崎町の新居から一番近い銭湯はこの喜久の湯で、妻・美知子の証言もある、やはりここによく湯に浸かりに来た事は間違いないだろう。浴槽はひょうたんの形をしている。太宰もこのひょうたんの浴槽でのんびり天然温泉の湯で体を癒した。入ってみると、何だろう、とても落ち着く。太宰ゆかりの地をまわることをそっちのけで、このままずっと入っていたい。昭和の雰囲気が、むしろ現代の生活に見慣れてしまっている私には新鮮で心地よい。そうか、ここによく来るお年寄りの方々にとっては、昭和を、当時を懐かしむことのできる場所でもあるのか。いつまでも残ってほしいですね。

 太宰は喜久の湯の後、酒を6、7合飲んでは上機嫌でふざけて、妻・美知子を困らせる。
ご当人は飲みたいだけ飲んで、ぶっ倒れて寝てしまうのであるが、兵営の消灯ラッパも空に消え、近隣みな寝しずまった井戸端で、汚れものの片附けなどしていると、太宰が始終口にする「侘しい」というのは、こういうことかと思った。』と妻・美知子は回想している。

 有名でなかった当時、本当に毎日銭湯に行っていたとなると、なかなかの贅沢だったと思います。しかし、妻・美知子はどうだったのでしょう。夫婦揃って毎日銭湯にはさすがに行けなかったはず。太宰も苦労人だが、その妻である美知子も、太宰と同じかそれ以上に大変だったような気がします…。
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 喜久の湯は本当に良い銭湯でした。甲府へ旅行に行ったら、一度は必ず行くべき場所だと思います。


Commented by tarukosatoko at 2018-04-09 18:40
銭湯の心地よさがつたわりました。いいですねー。
それにしても、太宰の飲酒量は多かったのですね。1日に1リットルは飲んでいることになります。「明日にさしつかえるから、控えよう」というようなことはないのが、なんとも、うらやましいような。
Commented by dazaiosamuh at 2018-04-12 19:04
> tarukosatokoさん、太宰の酒の強さにはいつもながら驚かされます。サラリーマンのように、酒が翌日まで残って、酒気帯びにより出勤停止! なんてことがないのが羨ましい。
銭湯は年々数が減ってきていますね。できれば毎日銭湯でゆっくりしたいですが、やはり、金銭的な面や手間がかかるので、なかなか行くことがないですよね。
銭湯へ行って、その後飲みたいだけ飲む、幸せですね。
by dazaiosamuh | 2018-04-09 10:43 | 太宰治 | Comments(2)