太宰治と甲府 №9 清運寺と太宰が踏み締めた敷石

 寿館やその近辺にあった製糸工場について書いたが、寿館のあった場所のすぐ横には清運寺というお寺がある。私が太宰のゆかりの地である甲府を歩くにあたって、なかでも楽しみにしていたのが、この清運寺だ。というのも、太宰が昭和13年11月から12月頃まで住んだ寿館は、清運寺の参道に面しており、その参道は現在はアスファルトになっているが、太宰が寿館に住んでいた当時は敷石でできており、なんとその敷石は現在、清運寺境内の藤棚の下に敷き詰められているとのことなのだ。
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 写真は清運寺側から撮った参道。左側に寿館があった。
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 山門を入ると小さな石橋がある。そこにも敷石があった。当時からのままだ。ここを太宰が歩いたのだ、それを思っただけでわくわくする。太宰が直接触れた数少ない場所である。
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 写真の右下に藤棚。どきどきしながら近づいてみる。
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 藤棚の下に敷石が敷き詰められている。参道で使われた敷石だ。太宰が間違いなく歩いた敷石なのだ。太宰を感じるパワースポットだ。
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 天気も良く、ほのぼのと敷石を眺めていると、太宰の歩く足音がおもわず聞こえて来そう。その上を自分も歩いてみたり、手でそっと撫でてみたり…。太宰はどんな思いで、どんなことを考えながら、この敷石の上を歩いたのだろう。

 清運寺の参道は、当時清運寺にあった清正公堂のための参道で、大正12年に造られた。情報誌ランデブーによると、参道を造った際に建てた石柱が1本だけ残っているというので、探してみました。
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 写真の石柱に大正13年とあるので、これだと思われます。ということは、太宰もこの石柱を必ず目にしているはず。もしかしたら触ったこともあるかもしれない。清正公祭りの際は旗などをここに掲げたそうだ。
ところで、情報誌ランデブーのなかで、『近所の寿司屋のおじいちゃんは、この参道に立って振り返っている太宰の写真を見たことがある、遠くに、清運寺の白い壁が写っていたよ、というのだが、さてその写真をどこで見たのかは記憶がないという。』とあった。本当にその写真に写っていたのは太宰であったのか、そしてその写真はどこで見たのか、非情に興味深い。戦災ですでに失われてしまったのかもしれない。もしくは、甲府のどこかにその写真は眠っているのだろうか。


by dazaiosamuh | 2018-03-10 11:30 | 太宰治 | Comments(0)