太宰治と鰺ヶ沢 №1 ハタハタが名物!?

 だいぶ深浦の記事から間があいてしまいましたが、気を取り直して書いていきます。
 太宰は深浦で兄たちの勢力を思い知った後、ぼんやりと汽車に乗り、鰺ヶ沢へとやってきました。

鰺ヶ沢。私は、深浦からの帰りに、この古い港町に立寄った。この町あたりが、津軽の西海岸の中心で、江戸時代には、ずいぶん栄えた港らしく、津軽の米の大部分はここから積出され、また大阪廻りの和船の発着所でもあったようだし、水産物も豊富で…(中略)…けれども、いまは、人口も四千五百くらい、木造、深浦よりも少ないような具合で、往年の隆々たる勢力を失いかけているようだ。
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 現在の鰺ヶ沢駅。太宰の『津軽』を読むと、あまり派手な町ではないような印象を受ける。駅周辺も殺風景というのか、さっぱりとしている。ただ、私が訪れた時はアジアからの外国人旅行者が大勢いた。観光地として賑わうのは大いに嬉しいことだが、できれば国内の人たちで賑わってほしいものだ。

 ところで、誰でも駅名である鰺ヶ沢と聞くと、鰺が有名なのかなと思うが、太宰もこれに触れている。
鰺ヶ沢というからには、きっと昔の或る時期には、見事な鰺がたくさんとれたところかとも思われるが、私たちの幼年時代には、ここの鰺の話はちっとも聞かず、ただ、ハタハタだけが有名であった。ハタハタは、このごろ東京にも時たま配給されるようであるから、読者もご存じの事と思うが、鰰、または鱩などという字を書いて、鱗の無い五、六寸くらいのさかなで、まあ、海の鮎とでも思っていただいたら大過ないのではあるまいか。

 なるほど、海の鮎だと思えばたしかに分かりやすく想像しやすい。妻・津島美知子が『太宰は箸の使い方が大変上手な人だった。長い指で長い箸のさきだけ使って、ことに魚の食べ方がきれいだった。』と述べていることから、小さい頃から魚に親しみ、また魚を大事に食べる人だったことが分かる。
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西海岸の特産で、秋田地方がむしろ本場のようである。』と書いている通り、秋田でよく獲れる魚で、時期は11月から12月にかけてである。私がここを訪れたのは6月であったから、ハタハタは食べることができなかった。
東京の人たちは、あれを油っこくていやだと言っているようだけれど、私たちには非常に淡泊な味のものに感ぜられる。津軽では、あたらしいハタハタを、そのまま薄醤油で煮て片端から食べて、二十匹、三十匹を平気でたいらげる人は決して珍しくない。ハタハタの会などがあって、一ばん多く食べた人には賞品、などという話もしばしば聞いた。東京へ来るハタハタは古くなっているし、それに料理法も知らないだろうから、ことさらまずいものに感ぜられるのであろう…(中略)…いずれにもせよ、このハタハタを食べる事は、津軽の冬の炉辺のたのしみの一つであるという事には間違いない。私は、そのハタハタに依って、幼年時代から鰺ヶ沢の名を知ってはいたのだが、その町を見るのは、いまがはじめてであった。

 鰺ヶ沢の話の半分がハタハタである。なぜここまでハタハタにこだわるのかと思ったが、『ハタハタを食べる事は、津軽の冬の炉辺のたのしみの一つである』とあるから、津軽の暮し、津軽の風土を理解するうえで、ハタハタはなくてはならないもののようだ。二十匹、三十匹を平気でたいらげる人も珍しくないというが、太宰も魚にうるさく、魚が好きな人であったから、大いにたくさん食べて親しんだことだろう。
 ハタハタは、ちょうど今が時期のようだから、売っているのをみかけたら食べてみようと思います。



by dazaiosamuh | 2017-11-20 16:15 | 太宰治 | Comments(0)