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太田静子と愛知川 №7 専光寺

 太田静子が幼い頃、『子守の女性と通うお寺の日曜学校で和尚さまから、「ウソをいった者は舌を抜かれて、地獄へおちるのじゃよ」』と言われたお寺は、専光寺で、『勝光寺は、東本願寺の由緒あるお寺である。母が「日曜学校」に通っていた専光寺は西本願寺のお寺であった。愛知川は、浄土真宗の信仰篤い土地柄』として知られているのだった。
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 現在の専光寺。
 専光寺に地獄絵が掛けられていて、それを見た静子は外へ飛び出したのだった。太宰治の作品「晩年」を読んだ人ならすぐにピンと来るはず、太宰も小さい頃、子守のタケに連れられてお寺へ行き、そこで地獄図絵を見て泣き出したときの話が『思い出』の中に書かれている。
六つ七つになると思い出もはっきりしている。私がたけという女中から本を読むことを教えられ二人で様々の本を読み合った。たけは私の教育に夢中であった。私は病身だったので、寝ながらたくさん本を読んだ。私は黙読することを覚えていたので、いくら本を読んでも疲れないのだ。たけは又、私に道徳を教えた。お寺へ屡々連れて行って、地獄極楽の御絵掛地を見せて説明した。火を放けた人は赤い火のめらめら燃えている籠をを背負わされ、めかけ持った人は二つの首のある青い蛇にからだを巻かれて、せつながっていた。血の池や、針の山や、無間奈落という白い煙のたちこめた底知れぬ深い穴や、到るところで、蒼白く瘠せたひとたちが口を小さくあけて泣き叫んでいた。嘘を吐けば地獄へ行ってこのように鬼のために舌を抜かれるのだ、と聞かされたときには恐ろしくて泣き出した。

 小さい頃、誰もがお寺で一度は地獄絵を見たことがあるのではないでしょうか。私も小学校低学年のときに故郷のお寺で地獄絵を見てぶるぶると震えた覚えた記憶があり、あの地獄絵に描かれた泣き叫ぶ人たちの姿は今でも脳裏に焼き付いています。
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太宰は、大きくなってから小さなウソをつくことが多かった。しかし彼は、一番大切なところではウソをつかなかったと母はいうのだった。自分も静子との間に赤ちゃんがほしいといった言葉を、彼は反故にしなかった。「静子はいい子だったんだ」と頭を撫でてくれた時に、母は太宰から空の上のまんもるさまを感じたという。』(明るい方へ)

 本当に太宰は静子との間に子供が欲しかったのか。静子の妊娠が分かったとき、太宰は友人に「なんて子早い女だ」と言った話などが残っているが、やはり、静子の日記欲しさに、その場の雰囲気、自身のロマンチシズムから赤ちゃんが欲しいといったのではないか。そして結果的に子供ができてしまい、静子からすれば『自分も静子との間に赤ちゃんがほしいといった言葉を、彼は反故にしなかった』となっただけのことではないのか。

 嘘を全くつかずに生きて行くのは難しい。言ってはいけない嘘と言って良い嘘を見極め、適度な嘘を心掛けて円滑な人間関係を作ってやっていかねばならない。難しいものだ。

by dazaiosamuh | 2017-03-05 17:07 | 太宰治 | Comments(0)