田部あつみと東京 №8 浅草・瓢箪池跡

 順三とあつみは慣れぬ東京で戸惑い、この先どうなるのだろうかと不安を抱きつつも、ここが踏ん張りどころだと互いに心の中で気持ちを落ち着かせて生活をしていた。
 そんな生活でも息抜きは大切だ。順三とあつみはある日浅草へと出掛ける。
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ホリウッドへ働きに出てから初めての休日に、あつみは順三と共に浅草へ出掛けた。雷門から仲見世の賑いを見物しながら瓢箪池に出る。池の周辺をめぐって花屋敷へはいった。』(太宰治 七里ヶ浜心中)
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 写真は現在の『ウインズ浅草』でこの一帯に瓢箪池があったようです。瓢箪池は空襲で被害を受けた浅草五重塔の再建資金を捻出するために、昭和26年に埋め立てられ、その土地を売却したという経緯があります。またその跡地には、1959年(昭和34年)、楽天地の遊園地の東急グループの複合娯楽施設「新世界」が立ち、また、奥山から新世界までの間が西参道商店街として整備されました。
『ウインズ浅草』のすぐそばに、かつてこの付近に瓢箪池があったことを示す看板も設置されていたので、一部抜粋します。
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瓢箪池、この池は浅草場外発売所や東宝映画などの建ち並んでいる所にあった。明治十七年(一八八四)に浅草寺境内にあった奥山の見世物小屋などを現在の六区に移転させる計画のもとに、浅草田圃(この辺一帯)の一部を掘って池をつくり、その土で六区を造成した。大池が正式の名であるが瓢箪池の愛称で呼ばれ親しまれていた。池の広さは千八百二十余坪あり、池の中央に中の島があって藤棚や茶店が憩いの場となり東西を橋でつないであった。夜ともなれば池面に興行街を彩るイルミネーションが浅草の灯をうつして美観を呈した。
 当時の浅草公園にはあらゆる階級の人間が集まり、人間の生の息吹が渦巻いていた。瓢箪池は青春の思い出であり、人生哀歓のオアシスであり、夢の泉でもあった。

 瓢箪池は『青春の思い出であり、人生哀歓のオアシスであり、夢の泉でもあった』とある。あつみと順三もここを青春の思い出として心に刻んだことであろう、心中などしなければ、生きて何度もここへ足を運んでもっと沢山の思い出をつくることができたはずだ。そんな『夢の泉』は戦争の影響で終戦後に埋め立てられてしまった。

 田舎から出てきた私からすると、現在の浅草は十分賑わっているようにみえるが、瓢箪池があった当時は、さらにそうとうに殷賑を極めた賑いぶりを見せていたらしい。
 瓢箪池は噴水もあったそうだ。もし現在、浅草に瓢箪池があったら恋人のデートスポットは間違いなく、もっと多くの人々を呼び寄せていたのではないだろうか。


by dazaiosamuh | 2016-11-28 14:46 | 太宰治 | Comments(0)