田部あつみと東京 №4 本郷座跡

 『高面順三が勉強のつもりで三回も観にいったこの芝居は、やはり反戦的大戦ものなのだが、前年に劇団築地小劇場が本郷座で上演した『西部戦線異状なし』などよりは、ずっと気楽に観ておれた。』(太宰治 七里ヶ浜心中)
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 劇団築地小劇場が『西部戦線異状なし』を上演したその本郷座は、現在の東京都文京区本郷3丁目にあった。場所は実に分かりやすい所だったのですが、いつものように迷い、通行人に尋ねて、どうやら道を1本だけ間違えているだけでした。
 
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 本郷座は明治初期から戦前昭和までありました。明治6年(1873年)、本郷在住の地主奥田氏が奥田座としたのが始まりで、後、地名を取って春木座としました。九代目市川團十郎などが主演して活況を呈したりなどしたが、度重なる類焼にあう。
 
帰宅してから、鈴村と夜更けまで演劇論をたたかわしたが、順三はこれまでの自分の考えの甘さを、それこそイヤというほど思い知らされる羽目になった。その頃の鈴村は、左翼劇場から分離したばかりのプロレタリア演芸団に所属していたようで、主に移動演劇の活動に従事していたらしいのだが、事情あって劇団を辞め、保険関係の仕事に転職したばかりであった。そんなわけで、家計のほうは、鈴村の妻よし子が女給として働きながら一家を支えていたのである。

 明治35年(1902年)には区名から本郷座と改称。以後は新派の川上音二郎一座の『ハムレット』などが盛況を極めるが、大正12年(1923年)の関東大震災で全焼した。翌年、バラックで再建され、二代目市川左團次一座がここを拠点にし好評を博したが、左團次により明治座が再建されると次第に廃れていき、昭和5年(1930年)からは松竹の映画館となり、第二次世界大戦中の東京大空襲により跡形も無くなり、消滅した。

 演劇文化が栄えた時代でもあり、貴重な史跡だ。戦時下ということもあり、この時代の演劇場は空襲や震災での焼失が甚だしい。跡形もなくなったが、明治後期の賑わいをみせる本郷座の写真が残されている。ちなみに史跡は文京区本郷3-14にあります。


by dazaiosamuh | 2016-11-05 12:49 | 太宰治 | Comments(0)