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田部あつみと広島 №16 喫茶店チロル、そして東京へ

昭和五年四月、田部あつみは突然平和ホームを辞めて、東新天地の喫茶店「チロル」へ移った。その喫茶店チロルの経営者は、高面順三で、明治四十年生まれの武雄と同じ歳であった。
 高面順三は、山口県出身で、幼い時期に父母と別れ、祖母に引き取られて生活した。祖母に大事に育てられた順三は、大変な読書家、勉強家であった。順三が喫茶店チロルを開いたのは、昭和3年の春で21歳の時である。
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 写真は流川通り。順三とあつみが働いた喫茶店チロルの詳しい場所は分かっていません。東新天地にあったというので、堀川、流川、薬研掘付近にあったのだと思います。
 喫茶店平和ホームから東新天地チロルへ移ったあつみであったが、すぐにその噂は広がった。
東新天地のチロルでは、美貌のあつみが現われたとあって、未来の芸術家の卵を気取る若者たちが、ますます足繁く通って来ていた。彼らは、中央の芸術家や演劇人が広島に来たとき、なるべくチロルへも立ち寄るよう誘ったりしていた。文学青年である順三が、文化人や殊に演劇関係者の来店を好んだせいもあるが、若い彼らには広島美人を一目でも見せて自慢したい下心と、お金に乏しい連中にもツケがきくという、もう一つの大きな利点があったからでもある。
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 写真は薬研掘周辺。この界隈は風俗店などが非常に多い印象を受けました。それだけ需要もあるということですか。あぶなく誘惑に負けそうになる。
 高面順三はもともと役者に対する強い憧れを抱いていた。ある日、順三の親しい友人が東京から広島へもどってきた。その友人は左翼劇場に所属していたのだが、東京での劇団の話を聞くうちに、順三は自分も東京に出て役者を目指したいという思いが強くなった。伯父の強い反対もあって踏み切れないでいたのだが、友人から新劇界に関する話をされ、我慢できなくなった順三は、いよいよ決意を固めることにしたのであった。

東新天地にエンゼルという洋画専門の一流館があって、その真向いに植木や盆栽を商う店があった。店といっても露店みたいなものだったが、そこから三軒目が喫茶店チロルで、何々賞をとって鼻高々の作家や詩人、画家なども多く集まった。むしろ彼らの溜り場といったほうが適切であったろう。それゆえ、喫茶店チロルには、つねづね芸術的な雰囲気が漂っていた。
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 エンゼル小路というのが目に入った。エンゼルという洋画館が当時どこにあったのかが分かれば、チロルの大体の場所も目星がつくのだが、そのエンゼルという洋画館はいくらネット、書籍等で調べても見つけることはできなかった(見落としているかもしれませんが…)
 しかし、『エンゼル小路』というのはどこからきた名前でしょうか。もしかしたら洋画館エンゼルの名残なのではないでしょうか。近くで掃き掃除をしているお兄さんに話を伺ったところ、『天使館が昔あったと聞いた事がある』と言っていました。
 やはり違うのか。偶然なのでしょうか。

 順三が決意を固めたころ、あつみは突然寝込んでしまった。順三と二人だけで働いていたため、無理が重なってのことであったが、あつみの兄・武雄の妻アキノが毎日看病に来てくれたおかげで、十日ほどであつみは元気になった。東京行きは、はじめは気乗りしなかったあつみだが、実は松旭齋天勝から東京、日比谷の住所を教えてもらっていたこともあり、心が揺れ動き、あつみもまた決意を固めるのであった。
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 写真はエンゼル小路の通りです。奥のほうへ進んで行くと中央通りやパルコ、アリスガーデンの方面へ出ます。
 田部あつみの両親は、可愛い末娘を手放したくなかったが、二人の決意は固かった。
東新天地のチロルの店は、伯父の処分に任せることにした。そしてまた東京での生活は、福山の素封家へ養子にゆく話がきまった鈴木の世話で、東京の劇団関係の会社に就職の紹介をしてくれる手筈が、いちおう整っていたのである。順三は働きながら新劇を学び、鈴木が果たせなかった夢を、自分が代わって全うしようとの、若者らしい激しい意欲を燃えたぎらせていた。
 広島での最後の夜、チロルに伯父やあつみの兄武雄たちが集まって、盛大な送別の宴をひらいてくれた。送別会のあと、みんなで記念写真を撮ることになり、伯父を中心にして右側に順三、左にあつみが並んで座った。
 これが広島での最後の写真であった。

 この東京行きが、あつみにとっての人生の岐路だったのでしょうか。松旭齋天勝へ弟子入りしていれば、もしくは東京で太宰と出会っていなければ…。どこであつみの人生の歯車は狂い始めてしまったのでしょうか。

 これで田部あつみと広島の記事は終了になります。


Commented by tarukosatoko at 2016-10-07 12:24
よく調べてあって、おもしろかったです!
田部あつみという人のことがだんだんわかってきました。
それで、太宰と会うことになるのですね…
Commented by dazaiosamuh at 2016-10-08 19:55
> tarukosatokoさん、田部あつみのお墓に手を合わせることができなかったのが、一番心残りでした。お墓の移動したお寺をあとでしっかり調べてみたいと思います。そしたらまた広島を訪れるつもりです。
Commented by 座椅子 at 2022-07-22 05:17 x
喫茶チロルが写っている古地図がありますが、お店の前にはエンゼルおもちゃ店があります。洋画のお店とはまた別なんでしょうか、、??
Commented by dazaiosamuh at 2022-08-01 13:07
> 座椅子さん、はじめましてこんにちは。
喫茶チロルが写っている古地図があるのですか!
エンゼルおもちゃ店ですか。私がここを調べた当時は、詳しい情報もあまりなく、『エンゼル~』の関連もよくわかりませんでした。
なのでエンゼルおもちゃ店が洋画のお店と別なのかどうかは判断できません。
申し訳ありません。
by dazaiosamuh | 2016-09-29 21:06 | 太宰治 | Comments(4)