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田部あつみと広島 №12 歌舞伎座で魅せられて…

 大正14年の12月に『八丁堀千日前の旧福屋の東隣りの空地に、新しく歌舞伎座が開場』した。
千日前には帝国館、日本館、太陽館と活動写真の常設館が立ち並び、千日前広場に小屋掛けの見せ物も多く賑やかで、大道芸人もたくさん集まっていた。歌舞伎座のこけら落しには先代中村雁治郎が出演。あつみも兄の武雄に伴われて一緒に観劇に行ったが、舞台の世界につよい魅力を感じはじめたのも、多分その頃からであったろう。』(太宰治 七里ヶ浜心中)
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 写真は八丁堀の交差点で、中央の建物付近が旧福屋跡になり、当時、隣りに空地がありそこに歌舞伎座ができたようです。当時、八丁堀電停は現在より一つ西側の筋にありました。現在の福屋を背後に写真を撮りました。歌舞伎座も当然現在はありません。
 その歌舞伎座に、昭和3年早春、松旭齋天勝(しょうきょくさいてんかつ)一座が来演したのだが、例によって兄の武雄と一緒に観劇に訪れたあつみは、その艶やかな舞台姿に魅せられ、何度も足を運び、なんとある日、天勝の楽屋を訪ねて弟子にして欲しいと頼み込んだのであった。
内弟子志願の田部あつみに、天勝は芸道の道は生やさしいものでないこと、苦労を知らないあつみのような娘に、とても辛抱できる筈のないことを話して、きっぱり断念するよう説得して帰そうとつとめた。
 だがあつみは諦めないで、翌日も、またその翌日も天勝の楽屋をたずねて来た。とうとう根負けした天勝は、小柄だけども可憐なあつみにその素質を認め、両親の内諾を得るために、西松原の田部島吉の許へ、天勝が自ら挨拶に行った。』(太宰治 七里ヶ浜心中)

 あつみの熱意におれて、天勝自ら、あつみの父・島吉の許へ挨拶に行くとは、あつみのその熱意は相当なものだったのでしょう。時代や風潮に逆行して、好きなことに素直に挑戦しようとするあつみの姿は、彼女について調べる私にとっても、とても素敵に見える。

 しかし、天勝がせっかく了解を得に島吉のもとへ訪れるも、結局、あつみの弟子入りは叶わないのであった。
島吉はびっくり仰天した。娘が芸人になるなんて、とんでもない話だった。あつみの根性に惚れこんだ松旭齋天勝の熱心な懇請にもかかわらず、島吉は一歩も退かず頑強に反対しつづけた。そのうち、天勝一座は次の巡業先へ発って行った。』(太宰治 七里ヶ浜心中)
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 写真は現在の福屋です。福屋は1929年(昭和4年)8月に開業し、1938年(昭和13年)に現在の場所へ新店舗として開館しました。本館は1945年(昭和20年)、原爆により被爆しており、現存する被爆建物の一つ。店舗棟は本館・東館・南館からなっているが、東館にある地には、平成20年頃まで100年近くに渡り松竹系の映画館があった。東館8階には、松竹系封切館の『松竹東洋座』と独立系の封切などを主に上映した『広島名画座』があったが、平成20年に閉館している。
 田部あつみが兄・武雄と共にみてまわった『日本館』(1916年に創設)は、『松竹東洋座』の前身にあたる。
 ちなみに閉館後の2010年(平成22年)に映画館『八丁座』に生まれ変わっている。
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 現在の福屋から道路を挟んで反対側の歩道に、福屋が被爆建物であることを示す碑がありました。
福屋百貨店(爆心地から約710メートル)
 鉄骨鉄筋コンクリート造地上8階、地下2階建ての建物は、原爆の炸裂による強烈な爆風と震動を受け、すべての施設、器具類が壊れ吹き飛ばされました。
 また、全館が炎の海と化し、建物の中にいた多くの人が亡くなり、建物は骨組みと外郭を残すだけになりました。

 天勝に弟子入りが叶わなかったあつみは無気力状態になり、学校にもますます身が入らなくなっていった。
あつみは女学校へもあまり登校せずに、家事の手伝いをしていることのほうが多くなり、そのまま学校を中退してしまった。彼女が自分で退学届を学校当局へ提出してしまったのである。
 後年、父の島吉は、もしあの時にあつみの望みを叶えて天勝師匠に任せていたら、あんなこと(津島修治と鎌倉腰越で心中)にはならなかったろうにと、そのことばかりいつまでも悔やんでいたという。

 父・島吉の胸中はさぞ苦しかったことと思います。私ももしあつみの父であったら、芸人など反対しただろうし、逆に、太宰と心中されたら、あの時天勝への弟子入りを許してあげれば良かったと悔やむことだろう。
 どちらにしても、父・島吉は悪くないことはたしかだ。何だかんだ娘と揉めても、大事な末っ子の可愛い娘だ、反対する気持は十分理解できる。
 となれば、あつみも自殺願望があったにせよ、共に心中を図った太宰治はやはり罪である。

 松旭齋天勝については、『田部あつみと広島』の記事が終わってから後で書こうと思っています。







by dazaiosamuh | 2016-09-15 13:04 | 太宰治 | Comments(0)