田部あつみと広島 №6 舟入町川口から福島町へ転居

 田部あつみが生まれる前、父・島吉と母・シナは教専寺の前に住み、そののち子どもたちを連れて能美島へ帰り、その後、また船で広島へ渡り、広島市内の西松原の近くに住居を構えた。その頃、シナのお腹に生を受けたのがあつみであった。そしてさらに数年後、夫婦は舟入町川口に転居した。
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数年後、島吉夫婦は、舟入町川口に転居し、さらに己斐ちかくの福島町に移った。川添川(又は福島川)のほとりで、見事な街道松の名所として有名であったが、このあたり一帯は広島駅付近の東松原(いろは松原)に対して、西松原と呼ばれたところである。』(太宰治 七里ヶ浜心中

 当然、当時の面影など皆無である。原爆さえなければ、色々と資料が残っていただろうに、原爆投下でほとんどが失われた。あつみのゆかりの地を歩くのはなかなか難しい。
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小学校にあがる前のシメ子は、一番末の娘でもあったし、父母や兄姉たちの寵愛を一身にうけ、それこそ腫れ物にさわるように大事に育てられた。踊りは四歳のときから習わせられたし、姉たちが競って稽古事を教えたりしたので、幼い時から町内の祭りや催し物があると、かならず引っ張り出されていた。髪飾りをつけて可愛らしいシメ子は、すでにその頃から、”西松原の器量好し„と福島町界隈で評判であった。』(太宰治 七里ヶ浜心中

 住居を転々とした理由はよく分からない。いや、特に理由などなかったのかもしれない。ただ、住所は『二、三度転居しているが、戸籍上は福島町十九番地のままとなってい』(※)たらしい。
 ※(太宰治文学アルバム 女性編

 たかが1泊2日程度で田部あつみのゆかりの地を踏査し尽すことなどできないと改めて痛感した。もっと膨大な時間をかけ、何度も足を運ばなくてはならない。それを考えれば、『太宰治 七里ヶ浜心中』や『太宰治文学アルバム』等の著者である長篠康一郎には脱帽します。
 『田部あつみと広島』は私なりの記事を引き続き書いていこうと思います。


Commented by tarukosatoko at 2016-08-19 21:13
広島の観光地はほぼいっていますが、この連載では、広島城をはじめ、知らないことばかり、行ったことがないところばかりでしたよ。何がでてくるのか、これからが楽しみです!
Commented by dazaiosamuh at 2016-08-20 18:56
> tarukosatokoさん、広島の観光地は網羅しているのですか、すごいですね。私は初だったため当然土地勘もないためまわるのが大変でした。楽しみと言っていただけると嬉しいです。
by dazaiosamuh | 2016-08-19 18:42 | 太宰治 | Comments(2)