太宰治 芥川龍之介の講演を聴いた青森市公会堂跡

 太宰治生誕祭の前日に、青森市を少し訪れ太宰のゆかりの地を巡ったので載せておきます。

 昭和2年5月21日、改造社主催の『現代日本文学全集』刊行記念講演映画大会のため、秋田雨雀と片岡鉄兵とが青森市を訪れた。その時、北海道での講演を終え次の新潟での講演に向かうため、青森に立寄った芥川龍之介は、列車の発車までの時間を市公会堂で過ごすことにしたのだが、そのとき出演を急遽依頼され登壇。約30分ほど話をした。
 当時、旧制弘前高校1年生であった太宰治は、憧れの芥川龍之介の講演を拝聴し大いに感動した。
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 現在は青森市福祉増進センター・しあわせプラザとなっています。
竹内俊吉挨拶のあと、秋田雨雀、片岡鉄兵、それに芥川龍之介が講師で、浜町海岸の公会堂(現しあわせプラザ)は大変な盛会だったが、三ヶ月後、芥川が自殺……心酔していた太宰はこれを契機に、女師匠に義太夫を習う一方、泉鏡花作品などの影響もあって、浜町の花柳界へ出入りするようになった。』(新編 太宰治と青森のまち

 『将来に対する唯ぼんやりとした不安』を動機に、講演から僅か2カ月後に芥川は自殺、この自殺が当時の太宰に影響を及ぼすことになる。
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 建物の前には石碑があり、その説明書きに太宰治が芥川の講演を聴いた旨の内容が記載されていた。
大正天皇のご結婚を祝い、その記念事業として建築された。全市民待望の落成式は、明治34年(1901)10月30日挙行。その後、大正14年(1925)、青い海原を背景に近代的な鉄筋三階建て(延面積2,250㎥約680坪)に増改築した。青森市史(年表編)には「10月31日青森市新公会堂竣工、同年11月30日落成式挙行、建築工費184,500円」と記載されている。東北、北海道を代表する施設であったという。
(中略)
 昭和初期……改造社主催による文芸・特別講演会に、当時、官立弘高生であった太宰治が、私淑していた芥川龍之介などの講演を聞くために弘前から駆けつけたという。
 講演会は、2,000名近い聴衆で身動きできないほどの盛会であったといわれている。
 また、ヘレン・ケラー女史が来青したときも超満員で、演壇へ進んだ女史が「ここは快い潮……磯の香りがしますね。青森は海辺のすんだ空気の街であることが、膚に伝わってきます。」と冒頭に青森の印象を話したことが、市民に強い感動を与えたという。
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 この建物は空襲の戦禍にも焼け残り、その後スポーツ施設などとして親しまれたが、平成8年に道路の拡幅工事に伴い、取り壊されました。しかし、平成9年3月、跡地に青森市福祉増進センターが完成し、正面外観は太宰が芥川の講演を聴いた当時の建物のデザインが採用されています。
 太宰は当時、友人中村貞次郎、葛西信造、弟の礼治、津島逸郎たちと講演にきて聴いたともいわれていますが、確証はなく、誰と訪れたのかは分かっていません。もしくは一人で来たのかもしれませんね。

 

by dazaiosamuh | 2016-07-19 09:53 | 太宰治 | Comments(0)