太宰治のモノマネ №2 三鷹・陸橋 その①

 友人のSさんと共に、次は三鷹の陸橋を訪れました。太宰治はその三鷹の陸橋がお気に入りだったようで、数少ない太宰の写真の中でも陸橋で写っている写真は5枚ほど残っている。
太宰治が玉川上水の岸辺に座り込んでいる写真が3カット。そして跨線橋へ。これが5カット。しかし、この跨線橋の写真は、2カット目で切れていて、次のコマが、あの有名な跨線橋の上での上半身の写真と続くのだが、どうもこの間に数カットの欠損した部分があるのではないかと推測される。このフィルムは6コマ中、2コマが感光されてなくて真っ黒であることも不思議で、コマ送りで不具合があったのかも知れない。』(太宰治と旅する津軽

 太宰の陸橋での写真は、昭和23年(1948)2月に撮られたもので、撮影者はどれも田村茂によるものです。太宰が山崎富栄と玉川上水で心中したのはその年の6月。死ぬ3,4カ月前に撮られた写真だ。そのためか、太宰の写真を見ると陰鬱というか、暗澹たる雰囲気を纏っているようにも見える。作家としてだけでなく、酒、煙草、薬、自殺未遂、心中未遂、非合法、借金などを若くして経験してきたからこその風格がある。だからこそ見るものを圧倒するのだろう。太宰の写真は書籍やネットですぐに見つける事ができるので、ぜひ読者は太宰の写真と見比べながら私の写真を見てほしい。
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 どうでしょうか。一応ポーズなど頑張って見ました。自分がポーズを真似るのと、撮影する側から見るのとでは結構違うみたいで、実は相当難しい。煙草は勿論、ゴールデンバットです(私は普段吸いません)。
 この陸橋は太宰治がいた当時からあるものなので、荻窪の碧雲荘が無くなった現在、太宰のゆかりの建築物として非常に貴重なものだと思います。
 場所はほぼ同じで、太宰が実際に立っていた場所はもう少し後ろの金網がある付近になります。当時は金網は無かったのですが、現在は安全のために設置されています。全く同じ立ち位置で撮ろうとすると、煙草を持った右腕を置くことができないためポーズをとることができません。なので実際より少し前の方で撮りました。

 ポーズは真似できても、やはりその太宰独特の雰囲気(陰鬱さというのか、波乱な経験を積んだ者のオーラというのか)までを出す事はできない。たかが真似事かもしれないが、難しく奥が深いと思いました。

 似たような写真になってしまいますが、数回この陸橋の記事を載せます。

Commented by A at 2016-05-08 22:24 x
前回から楽しみに拝見していましたが、さすがですね!
以前のバールパンの時もとてもよかったですが、今回はさらに太宰さん、そのままです。
確かにご本人の写真には表情も含め、陰鬱な何とも言えない雰囲気がありますが、白黒写真というのもその雰囲気を出す要因の一つではないでしょうか。きっとアップされた写真も白黒に加工すると、さらに太宰さんっぽくなるのでは・・
もっとたくさん写真見てみたくなりました!
Commented by dazaiosamuh at 2016-05-09 06:43
> Aさん、そう言われてみれば、確かにモノクロ写真特有の雰囲気というのもありますね。
バールパンに行った時に、その陸橋でのモノマネ写真をマスターに見せたら、Aさんと同じく、「こういうのは同じようにモノクロで撮ったほうがいいよ」と言っていました。
 後でちょっと試してみようかと思います。
by dazaiosamuh | 2016-05-08 12:13 | 太宰治 | Comments(2)