2016年 04月 10日
太宰治と弘前 №10 弘前のシンボル・最勝院五重塔
『弘前市。現在の戸数は一万、人口は五万余。弘前城と、最勝院の五重塔とは、国宝に指定せられている。』
『心柱は角柱で、初層天井から立つ。江戸時代建立の塔であるが古式を残し、軸部の逓減率が高く、バランスの取れた優美な塔である。初層は正面のみを連子窓、他3面を丸窓とし、2層以上は窓や構造材の意匠に変化を持たせている。』
弘前で青春を送り、『津軽』にも弘前の代表的な存在として紹介しているので、太宰も少なからずここを訪れ、きっと五重塔を見上げたことでしょう。
私は以前、京都の記事で長篠康一郎が太宰治文学アルバムに『太宰治の死で、憧れの京都移住は実現しなかったが、もし望み叶えられていたなら、その永住予定地は、おそらく醍醐寺の近辺であったと推定できる。』と書いてあったことを載せたが、その京都の醍醐寺には三宝院五重大塔がある。
故郷に似た建造物があることから、太宰研究に半生を捧げた長篠は、こういった理由なども含めた上で、もし太宰が京都に住むのなら、『醍醐寺の近辺』と推定したのかもしれません。