太宰治と弘前 №5 弘前大学 その③ 太宰治文学碑!!

 専門科目は愛!?
 人に『愛』を注ぎ、また自分が人から『愛』を受けていると素直に実感することは難しい。特にストレス社会の現代では、『愛』に飢えている人は沢山いるのではないだろうか。『愛』に生きる、『愛』のために死ぬ、などという台詞は気障に聞こえるかもしれないが、こんな現代だからこそ『愛』は必要だと思う。
 そんな太宰先生の専門科目の一つに、『愛』があるらしい。
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 弘前大学の正門を入り、すぐ右の、旧制弘前高等学校外国人教師館のある方へ進むと、太宰治の文学碑がある。
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 その文学碑には、『津軽』から抜粋されたある一節が刻まれている。
私には、また別の専門科目があるのだ。世人は假りにその科目を愛と読んでゐる。人の心と人の心の觸れ合ひを研究する科目である。私はこのたびの旅行に於いて、主としてこの一科目を追求した。』 太宰治『津軽』
 碑にうっすらと私が映ってしまっています。上手く撮れませんでした。

 故郷で久々に再開した友人、知人との心の触れ合いに、太宰は感動した。父に早くに死なれ、実母は病弱が故に、子守のタケに育てられた太宰は実親からの愛を知らなかった。だからこそ『愛』に怯え、またその『愛』を追い求め、探求したのだ。そんな太宰が身に付けたのが『愛』という専門科目であった。

 親の愛情をまともに受けずに育った太宰であったが、昭和4年の1月5日、太宰21歳(高校2年)の時に、可愛がり愛していた弟の礼治が敗血症のために逝去した。享年18歳であった。
その翌年の一月には津島が深く愛していた弟礼治が敗血症で死んだ。「弟が死んだ。あれは兄弟中でも一番頭がよかったのに」津島は悄然として私たちに語った。彼の悲しみは、私には容易に理解出来た。敏感な彼は、自分の愛する者を奪い去った死について深刻な思索に沈んでいた。恐らく彼自ら、長生き出来るとは考えられなかったであろう。父も比較的早世しており、兄や姉たちも弱く、殊に、自分はそれ以上に弱いのだ。だが短い命を大事にしよう、とこの人は考えない。彼は生きることにたいして執着がないのである。ただ生きている間だけでも、華やかに、騒いでいたい。じっとしていると、様々な妄念や恐怖が怨霊の如く、彼に襲いかかる。生きることの恐ろしさに較べれば、死は、自殺さえも、さほど恐ろしいものではない……。彼の自殺を考察すると、まず、こんな風にも言えるのであろうか。何れにせよ、あまりにも異常な、常人には殆んど不可解な精神の所有者であった。』(太宰治の思い出
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 碑の横には太宰の説明が。
 この学生服の写真は、高校に入学の際に提出されたもので、弘前大学創立60周年、太宰生誕100年にあたる2009年に公開された写真になります。設置されたのは、平成21年6月6日。

 生れた時から死ぬまで、太宰は『愛』と『死』に於いて悩み苦しんだ人であった。
 専門科目は『愛』と言っても、彼によってまわりの作家仲間や先輩、後輩、友人、そして彼を取り巻く女性たちは翻弄された。彼の『愛』は結局どこを彷徨い、どこへ辿り着いたのだろうか。

by dazaiosamuh | 2016-03-07 20:22 | 太宰治 | Comments(0)