2016年 02月 09日
太宰治原作アニメ 『女生徒』画ニメとは!??
説明によると、『画ニメとは、アーティストが描いた<画>を軸に、<言葉>、<音楽>を融合させ、作品の可能性を最大限に引き出す新感覚映像コンテンツ』らしい。
作中に出てくる言葉は多少の変更等はあるが、ほぼ原作通りのようで特に違和感なく見ることができた。しかし、正直映像はあまり好きにはなれなかったが、私個人の好みの問題なのでしょうがない。
原作『女性徒』は、もともと太宰治のファンであった有明淑(ありあけしづ)という女性から送られてきた日記を元に書かれた作品で、太宰は女性の気持の分かる人で、女性を主人公にした作品が書けてすごい、などとよく言われるが、名作『斜陽』は太田静子の日記を元に書かれた作品で、今回紹介した『女性徒』もファンの女性の日記をもとに作られているので、たしかに太宰は普通の男性よりは女性の気持に感づきやすく、また女性的な考え方をする人だとも思うが、しかし、ここで知らない人に言っておくが、先ほど述べた通り『斜陽』や『女性徒』のように、太宰が最初から終わりまですべて創作で描いたわけではないのだ。それを差し引いても文の構成や言い回しなどは、私からしたら文句など言えないほどの出来なのは確かだが。
『きのう縫い上げた新しい下着を着る。胸のところに、小さい白い薔薇の花を刺繍して置いた。上衣を着ちゃうと、この刺繍見えなくなる。誰にも分からない。得意である。』
この誰にも分からない、自分だけのどきどきした楽しみを持っているのは、女性ならではな気がします。(太宰のイラストが描かれたパンツを穿けば、私もドキドキするかもしれません。)
『誰かと部屋に坐って話をしている。目が、デエブルのすみに行ってコトンと停まって動かない。口だけが動いている。こんな時に、変な錯覚を起こすのだ。いつだったか、こんな同じ状態で、同じ事を話しながら、やはり、デエブルのすみを見ていた、また、これからさきも、いまのことが、そっくりそのままに自分にやって来るのだ、と信じちゃう気持になるのだ。』
これは私も十代の頃にたまにこういった錯覚というのか、状態になることがありました。二十歳を過ぎてからはないですが。
『私たち、こんなに毎日、鬱々したり、かっとなったり、そのうちには、踏みはずし、うんと墜落して取りかえしのつかないからだになってしまって一生をめちゃめちゃに送る人だってあるのだ。また、ひと思いに自殺してしまう人だってあるのだ。そうなってしまってから、世の中のひとたちが、ああ、もう少し生きていたらわかることなのに、もう少し大人になったら、自然とわかって来ることなのにと、どんなに口惜しがったって、その当人にしてみれば、苦しくて苦しくて、それでもやっとそこまで堪えて、何か世の中から聞こう聞こうと懸命に耳をすましていても、やっぱり、何かあたりさわりのない教訓を繰り返して、まあ、まあと、なだめるばかりで、私たち、いつまでも、恥ずかしいスッポカシをくっているのだ。』
このような若い十代、二十代の人たちの考え、悩みは昔も今も不変のようで、私も学生時代あれこれくだらないことで悩み苦しんだが、今を思えばたいした悩みではないことが殆んどだ。しかし、作中にあるように、当の本人からしたら、やはりその瞬間、その時期はとても苦しいことも事実なのだ。十代の学生が人間関係(いじめ)を苦に自殺、というのをニュースでたまに見かけるが、大人になると、そんな狭い世界で悩み、なぜ自殺などするのか、大人になれば自分の意志でやりたいことをやり、辞めたければいつでも辞められるのにと思うが、確かに大人になればそう思ってしまうし、そう思えるようになるのも事実。しかし、やはり苦しいものは苦しいのだ。
今、携帯電話を持つことが当り前の時代だ。メールの返事が返ってこない、メール、ネットでの書き込みによる苛め、悩みはどんどん増える一方で、一昔前よりも今の十代の若者のほうがシビアで生きにくい時代のような気もする。
ちょっと話が脱線したが、『女生徒』はじょじょに大人になっていく精神的未完成な若い女性の内面的告白で、しかも的確な表現も多々あり、特に十代に読んでもらえれば、ああ、いつの時代も悩みは一緒なんだ、自分だけではないんだと共感をよび、また、大人でも、そういえば自分もこんな青いときがあったなあ、こんなこと思っていたなあと思い出せる作品だと思います。
画ニメ自体の紹介にあまりなっていませんが、原作に勝るものはないと言ったら言い訳でしょうか。では、長くなりましたが私が『女生徒』の中でも好きな表現を引用して終わりにします。
『眠りに落ちるときの気持って、へんなものだ。鮒か、うなぎか、ぐいぐい釣糸をひっぱるように、なんだか重い、鉛みたにな力が、糸でもって私の頭を、ぐっとひいて、私がとろとろ眠りかけると、また、ちょっと糸をゆるめる。すると、私は、はっと気を取り直す。また、ぐっと引く。とろとろ眠る。また、ちょっと糸を放す。そんなことを三度か、四度くりかえして、それから、はじめて、ぐうっと大きく引いて、こんどは朝まで。』