太宰治 『惜別』と松島 №2 周さんと語る

 下手くそな歌声の主は先ほど船に乗り合わせた同じ医専の周樹人という学生であった。しかもどうやら言葉になまりがあり、東京者ではなかった。
僕はどうも、景色にイムポテンツなのか、この松島のどこがいいのか、さっぱり見当がつかなくて、さっきからこの山をうろうろしていたのです。」
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 何かトトロでも出て来そうな道ですね。ここは雄島という島です。島と言っても孤島ではなく陸地と繋がっていますが。
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 周さんも「僕にも、わかりません」と同意し、松島はそれでもこの静けさが良いと言い、たびたび単語を独逸語で言うのであった。そして『私』が出身を尋ねると、『僕は支那です』と答え、『私』は即座に納得した。同じ年に清国留学生が一名入学していたこと、そして唱歌の下手くそなことも理解した。
その松島の丘の上でも、相手が支那の人と知ってからは、大いに勇気を得て頗る気楽に語り、かれが独逸語ならばこちらも、という意気込みで、アインザームの鳥などという、ぞっとするほどキザな事まで口走ったのであるが、かの留学生には、その孤独(アインザーム)という言葉がかなり気に入った様子で…
 周さんと『私』はまるで肉親のように親しくなっていった。
ああ。」と周さんは振りかえって、「これで完成しました。何か、もう一つ欲しいと思っていたら、この松の枝を吹く風の音で、松島も完成されました。やっぱり、松島は、日本一ですね。」
「そう言われると、そんな気もしますが、しかし僕には、まだ何だか物足りない。西行の戻り松というのが、このへんの山にあると聞いていますが、西行はその山の中の一本松の姿が気に入って立ち戻って枝ぶりを眺めたというのではなく、西行も松島へ来て、何か物足りなく、浮かぬ気持で帰る途々、何か大事なものを見落としたような不安を感じ、その松のところからまた松島に引返したというのじゃないかとさえ考えられます。

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 雄島から撮った松島と遊覧船。景色に思わず心が和みます。
 周さんと『私』、2人は熱く語り合った。互いに自身の故郷の風景の良し悪しを言い合っては、また互いに尊敬しあった。すでに陽は沈もうとし、『山から降りて海岸に出た。海は斜陽に赤く輝いていた。

『惜別』は太宰独自の周樹人が描かれている。到底魯迅が言わないであろう台詞もある。政治的言動が多く含まれており、太宰の作品にしては珍しい。ある解説には、『太宰治は若き魯迅を自己と同一化させて描き情報局などの国策小説の裏をかこうという構想を抱いていた。』とある。太宰は文豪魯迅を通して、中国と日本の関係性を訴えようとしていたようだ。当時の情勢や国同士の関係性が窺われますね。太宰も真剣に考えていたようです。

 松島の記事はこれで終わりになります。
 余談になりますが、せっかく仙台に来たので牛タンを食べて帰ろうと、夜たまたま通りかかった牛たん炭火焼のお店に入り牛タンを食べていると、酔った男性に絡まれてしまった。その人は夫婦で来店しており、その店の常連でもあった。私が太宰好きで太宰のゆかりの地を旅していると話をしたら、そういう生きがいがあって羨ましいと言っていた。それでも酔っているとはいえ、話をしていると何だか落ち着く人であった。その内、奥さんも話に加わり楽しいひと時を過ごさせてもらったが、この夫婦の仲睦まじさがとても印象に残っており、逆に私にはそれが羨ましかった。
 東京なんかにいないで仙台に来い、と言っていた。仙台もいいなと思ったが、太宰のゆかりの地をまわるには東京を拠点に活動するのが非常に便利なのだ。
 ちなみに、その時私のブログの名刺を渡したら、その時のことをブログに載せたらどうだと言ってくれたので、今回最後に少しだけエピソードを載せました。
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 ついでに仙台のクリスマスイルミネーションを貼っておきます。なかなか綺麗でした。
 また仙台を訪ねたときは寄りたいと思います。


by dazaiosamuh | 2016-01-25 18:43 | 太宰治 | Comments(0)