太宰治の友 織田作之助の大阪 №8 懐かしき口縄坂!

路地の多い……というのはつまりは貧乏人の多い町であった。同時に坂の多い町であった。高台の町として当然のことである。「下へ行く」というのは、坂を西に降りて行くということなのである。数多い坂の中で、地蔵坂、源聖寺坂、愛染坂、口縄坂……と、坂の名を誌すだけでも私の想いはなつかしさにしびれるが、とりわけなつかしいのは口縄坂である。』(木の都
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 『木の都』で口縄坂(くちなわざか)やその近辺でのエピソードが、オダサクの懐かしい思い出として綴られている。口縄坂はたびたび登場するのですが、実は私はこの口縄坂をなかなか発見することができなかった。というのも、源聖寺坂を上り、ついでにそのまま口縄坂を見つけて下ろうと思っていたのですが、なぜか発見できず源聖寺坂附近に居た近所の高齢の女性に尋ねると、下から行った方が分かりやすい、どこどこを目安に見ていけば云々…と教えてもらい源聖寺坂をまた下り、下から口縄坂を、まだかな、まだ先なのかな、と焦燥しながら探すと、ようやく口縄坂の入り口を見つけることができました。口縄坂は源聖寺坂から思っていた以上の距離があり、もっと近くにあるものとばかり勘違いしていた私の安易な憶測が原因でした(本当に思っていた以上の距離を歩き疲れました)
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口縄(くちなわ)とは大阪で蛇のことである。といえば、はや察せられるように、口縄坂はまことに蛇の如くくねくねと木々の間を縫うて登る古びた石段の坂である。蛇坂といってしまえば打ちこわしになるところを、くちなわ坂とよんだところに情調もおかし味もうかがわれ、この名のゆえに大阪では一番さきに頭に泛ぶ坂なのだが、しかし年少の頃の私は口縄坂という名称のもつ趣きには注意が向かず、むしろその坂を登り詰めた高台が夕陽丘とよばれ、その界隈の町が夕陽丘であることの方に、淡い青春の想いが傾いた。』(木の都

 オダサクの『木の都』には『蛇の如くくねくねと木々の間を縫うて登る古びた石段の坂である』とありますが、現在のような直線の道ではなかったということでしょうか。入口の立て札には、『坂の下から眺めると、道の起伏がくちなわ(蛇)に似ているところから、この名が付けられたという。』と書いてありましたが、道の起伏も蛇に似ているとは思えませんでした。それとも歩行しやすいように整備し現在の坂にしたということなのでしょうか。
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 口縄坂を登り切ると、オダサクの碑がありました。そこには『木の都』の最後の段落が刻まれていました。
口縄坂は寒々と木が枯れて、白い風が走っていた。私は石段を降りて行きながら、もうこの坂を登り降りすることも当分あるまいと思った。青春の回想の甘さは終り、新しい現実が私に向き直って来たように思われた。風は木の梢にはげしく突っ掛っていた。

 青春を胸に前へ進もうとする淡い気持が読み取れる。この『木の都』を読んだ後は、オダサクを詳しく知らない私でも、口縄坂といったらオダサク、と思ってしまうほど印象的な作品でした。

by dazaiosamuh | 2015-12-03 10:52 | 太宰治 | Comments(0)