太宰治の友 織田作之助の大阪 №7 源聖寺坂

源聖寺坂や口縄坂を緑の色で覆うていた木々であったり、…』(木の都

 オダサクにとって、『私の幼時の記憶は不思議に木と結びついている』こと以外にも、小さい頃から駆け上がった源聖寺坂や口縄坂がなつかしい思い出となっている。
 天王寺七坂と呼ばれる坂の一つである源聖寺坂(げんしょうじざか)は、オダサクにとって口縄坂の次に愛着のある坂だったのではないだろうか。
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節分の日、もうその歳ではいくらか気がさす桃割れに結って、源聖寺坂の上を、初枝が近所の桶屋の職人の新太郎というのと、肩を並べて歩いている姿が、他吉は見つけた。』(わが町
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 源聖寺坂は、ゆるやかなカーブを描く段差の低い階段の坂であった。お年寄りなどにはやさしい造りですが、正直、私は昔からこの段差の低いタイプの階段は苦手であった。階段を上がる際、歩幅、歩数が上手く合わなくて歩きにくいのだ。(走るとなぜか丁度良い)
 坂の頂上から見下ろすと、高い場所ではないためビルばかりで遠くは望めない。しかし、オダサクがいた当時などは、今よりは見晴らしがよく、黄昏時には夕陽に照らされながら街を眺めることができたのではないでしょうか。
 現代は高層ビルなどが建ち並び、その技術は大いに素晴らしいことであるが、便利さやその土地を有効活用するために高さを上げ、それと引き換えに、風景、景観が失われた場所も少なからずあることは事実で、実にさみしいことでもある。

 次回は、オダサクが最もなつかしく愛着を持っていた口縄坂(くちなわざか)を書きます。



by dazaiosamuh | 2015-11-29 19:34 | 太宰治 | Comments(0)