太宰治 『思い出』めぐり!! №16 思い出の合浦公園!!

 太宰は『津軽』の中でも合浦公園に就いて思い出を書いている。
この中学校は、いまも昔と変らず青森市の東端にある。ひらたい公園というのは、合浦公園のことである。そうしてこの公園は、ほとんど中学校の裏庭と言ってもいいほど、中学校と密着していた。私は冬の吹雪の時以外は、学校の行き帰り、この公園を通り抜け、海岸づたいに歩いた。謂わば裏路である。あまり生徒が歩いていない。私には、この裏路が、すがすがしく思われた。初夏の朝は、殊によかった。』(津軽
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 こちらが現在の合浦公園です。木の葉で『合浦公園』の名前が隠れてしまっています。家族連れやお年寄りなど老若男女が散歩に訪れ、公園内をゆっくりまわり、海を眺めてはまたゆっくり公園をまわる姿が見受けられました。
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 公園には池もありました。木造の橋もあり、どこか東京の吉祥寺と三鷹を結ぶ井之頭公園を思わせるような印象を受けました。当時からこの池はあったのでしょうか。だとしたら、太宰は井之頭公園をあるいた際、もしかしたら青春時代によく歩いたこの合浦公園を思い出すことも少なからずあったと思います。
 中学四年生の時、太宰こと津島修治と教室を共にした赤坂友雄があるエピソードを『新編 太宰治と青森のまち』に残している。

六月に入って、廊下越しにポプラ並木の葉が光り、学校と垣一つ隔てた合浦公園にはハマナスが美しく咲く初夏、生徒達は睡気がさす季節である。授業が始まって間もなく、津島君が立って教室を出ようとしたら阿部君も立ち上がった。驚いた先生(国語の丸山教師)が君達どうしたのだ、と問うと津島君が、”先生の授業が面白くないから公園へ行って寝て来ます„と言ったものである。先生ばかりか、教室の一同呆気にとられている間に二人は出て行ってしまった。三時間も経ったろうか、二人は帰って来て、また授業に出た。だが出席簿には二人の空白があり、当然のことながら先生はこれをただすと、二人は公園で昼寝をしたと言う。こいつら先生をなめてる、とでも思ったか、先生は色々と問題を二人に当てるが何れも明快に答えた。二人にとって学校の授業なんか分かりきって面白くなかったのだろう。先生との受け応えを聞きながら、こんな連中を秀才というのだろうと思ったのものだ。

 学校の授業というのはいつの時代もつまらないものだと思いますが、それでも勝手に教室を出ていくというのは、あまりいないと思います。しかも、授業を放棄しておきながら先生の問いに明快に受け応えるとは、ある意味質が悪い。しかし、このエピソードを読んだだけでも、やはり太宰治は秀才だったのだなとつくづく思いました。
 ちなみに、『阿部君』というのは後に画家になる阿部合成のことです。
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 木々が生い茂り、歩いていて気持がいい。たぶんこの合浦公園は当時からそれほど変わっていないのではないでしょうか。中学時代の坊主頭の太宰治が歩く姿が目に映ります。

中学校にはいるようになってから、私はスポオツに依っていい顔色を得ようと思いたって、暑いじぶんには、学校の帰りしなに必ず海へはいって泳いだ。私は胸泳といって雨蛙のように両脚をひらいて泳ぐ方法を好んだ。頭を水から真直に出して泳ぐのだから、波の起伏のこまかい縞目も、岸の青葉も、流れる雲も、みんな泳ぎながらに眺められるのだ。私は亀のように頭をすっとできるだけ高くのばして泳いだ。すこしでも顔を太陽に近寄せて、早く日焼けがしたいからであった。』(思い出
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 この海で太宰は泳いだのですね。実は太宰はカナヅチだったという話もあるため、どの程度泳げたのかは定かではありません。もしかしたら、平泳ぎしかできなかったのかもしれませんね。そういう私は泳ぐのは得意ではなく、平泳ぎもできません。犬かきが楽で好きです。
 訪れた時は青空で、とてもすがすがしく気持が良かった。太宰が中学時代、この海岸づたいを歩いて登下校した気持がよく分かります。連絡船が見えることもあったのでしょうか。
 いつかここで海水浴を楽しんでみたいですね。

 長くなってしまいましたが、『思い出』めぐり編はこれで終了になります。

by dazaiosamuh | 2015-10-20 12:04 | 太宰治 | Comments(0)