太宰治 『思い出』めぐり!! №8 常光寺で100mダッシュ!!

 太宰治は中学時代、1年の1学期には走り込みや柔道に励んだ。その頃、遠縁にあたる青森市寺町十四番地の「山太呉服店」豊田太左衛門方に下宿していた。豊田太左衛門は、叔母キエの2度目の夫・常吉の実家の当主で、中畑慶吉の舅にあたる。
 その豊田太左衛門方のすぐ横に常光寺というお寺があり、太宰はそこで100mの直線を走り込んで、体力づくりに励んだのだ。

私のいたうちの裏がひろい墓地だったので、私はそこへ百米(100m)の直線コオスを作り、ひとりでまじめに走った。その墓地はたかいポプラの繁みで囲まれていて、はしり疲れると私はそこの卒塔婆の文字などを読み読みしながらぶらついた。月穿潭底(げつせんたんてい)とか、三界唯一心とかの句をいまでも忘れずにいる。ある日私は、銭苔のいっぱい生えている黒くしめった墓石に、寂性清寥居士という名前を見つけてかなり心を騒がせ、その墓のまえに新しく飾られてあった紙の蓮華の白い葉に、おれはいま土のしたで蛆虫とあそんでいる、と或る仏蘭西の詩人から暗示された言葉を、泥を含ませた私の人指ゆびでもって、さも幽霊が記したかのようにほそぼそとなすり書いて置いた。』(思い出
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 写真が常光寺です。太宰はここでまじめに練習したのだ。しかも、『スパイクシューズまで買ってきて、ダッシュをくりかえし、熱心にランニングの練習をした』(「青森時代の太宰治」 中村貞次郎)

 太宰についてあまり詳しく知らない人は、酒、煙草、女好きで、自殺癖がある、という不摂生で暗いイメージしかもっていない人がほとんどかもしれない。しかし、青春時代、太宰にもこういった健気に運動に打ち込む時期があったのだ。むしろ私は、学校の体育の授業や部活動以外で、家に帰ってから1人で短距離の自主練などしたことなどない。太宰は100mを何秒で走り切ったのでしょうか。
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 写真は常光寺内にある石仏群。太宰がいた当時からあったものだと思います。太宰も少なからず目にしていたはず。

そのあくる日の夕方、私は運動にとりかかる前に、先ずきのうの墓標へお参りしたら、朝の驟雨で亡魂の文字はその近親の誰をも泣かせぬうちに跡かたもなく洗いさらわれて、蓮華の白い葉もところどころ破れていた。
 私はそんな事をして遊んでいたのであったが、走る事も大変巧くなったのである。両脚の筋肉もくりくりと丸くふくれて来た。けれども顔色は、やっぱりよくならなかったのだ。黒い表皮の底には、濁った蒼い色が気持悪くよどんでいた。
』(思い出

 酒や煙草を控え、大人になってからも少しくらい体力作りをしていれば、健康でもう少し長生きできたかもしれまんせね。

 次回は、常光寺のすぐ隣にあった豊田家跡を書きます。

Commented by tarukosatoko at 2015-09-09 13:49
すごい意外です!太宰治っていうと、体力がなさそうなイメージでした。50メートルじゃなくて100メートルを走るというところも本格的ですね。そんなに走れたんですね。太宰のことがわかって、おもしろいです!
Commented by dazaiosamuh at 2015-09-09 14:26
> tarukosatokoさん
頬杖ポーズの写真からは想像できないですよね。100mだと、何本も全力で走れるものではないと思うので、中学時代の太宰はそれなりの体力の持ち主だったのかもしれませんね。太宰と競争してみたいです。
by dazaiosamuh | 2015-09-09 11:13 | 太宰治 | Comments(2)