太宰治 『思い出』めぐり!! №2 連絡船と運命の赤い糸

 青森駅に到着した私は、近い場所から順にゆかりの地をまわりました。まず最初は『思い出』に登場する連絡船です。青森駅から徒歩3,4分で着けます。

秋のはじめの或る月のない夜に、私たちは港の桟橋へと出て、海峡を渡ってくるいい風にはたはたと吹かれながら赤い糸について話合った。それはいつか学校の国語の教師が授業中に生徒へ語って聞かせたことであって、私たちの右足の小指に眼に見えぬ赤い糸がむすばれていて、それがするすると長く伸びて一方の端がきっと或る女の子のおなじ足指にむすびつけられているのである、ふたりがどんなに離れていてもその糸は切れない、どんなに近づいても、たとい往来で逢っても、その糸はこんぐらかることがない、そうして私たちはその女の子を嫁にもらうことにきまっているのである。
 私はこの話をはじめて聞いたときには、かなり興奮して、うちへ帰ってからもすぐに物語ってやったほどであった。
』(思い出)
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 太宰が弟の礼治と一緒に来た港の桟橋は、今はまったく面影を残していない。写真は、実際に使われた青函連絡船・八甲田丸で、現在は連絡船は動いてはいませんが船内を見学することができます。(有料です)
 八甲田丸は、1964年(昭和39年)8月に就航しましたが、青函トンネルなど時代の流れにより、1988年3月13日に青函連絡船すべての運行が終了しました。

私たちはその夜も、波の音や、かもめの声に耳傾けつつ、その話をした。お前のワイフは今ごろどうしてるべなあ、と弟に聞いたら、弟は桟橋のらんかんを二三度両手でゆりうごかしてから、庭あるいてる、ときまり悪げに言った。大きい庭下駄をはいて、団扇をもって、月見草を眺めている少女は、いかにも弟と似つかわしく思われた。私のを語る番であったが、私は真暗い海に眼をやったまま、赤い帯しめての、とだけ言って口を噤んだ。海峡を渡って来る連絡船が、大きい宿屋みたいにたくさんの部屋部屋へ黄色いあかりをともして、ゆらゆらと水平線から浮んで出た。』(思い出)
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 太宰は、故郷で小柄な小間使の『みよ』という少女に、淡い恋心を抱いており、『赤い糸と言えば、みよのすがたが胸に浮んだ。』のだ。
 太宰は弟・礼治と共に、港の夜景の中で幻想的に浮かぶ連絡船を眺めながら、いつか結ばれるであろう運命の少女の話を語り合ったのだ。
 この『運命の赤い糸』は、誰もが小学生時代にまわりから話を聞くことではないだろうか。そういう私も、赤い糸には何度も興奮し、頭を悩ませたものだ。ただ、私の場合は足ではなく手の小指でしたが、皆さんはどうでしょうか。絶対に小指だけでも大切にしなきゃ、と思った時期もあったほどです。今思えば照れ臭いですね。
 こういった話は、初恋を迎える、切なくも淡い青春時代へと入っていくための第一歩でもあり、しかも、いつの時代も不変なのだ。

 ちなみに、八甲田丸は大人500円で見学できます。『思い出』は、太宰の処女作品『晩年』に入っていますので、本を片手にぶらっと連絡船のまわりを歩くのもいいかもしれません。


by dazaiosamuh | 2015-08-05 21:49 | 太宰治 | Comments(0)