太宰治が見た佐渡 №11 太宰が行こうとした小木!

 相川に着いた太宰は、自分に対して冷たい態度を取る佐渡から一刻も早く帰りたかった。
出来れば、きょうすぐ東京へ帰りたかった。けれども、汽船の都合が悪い。明朝、八時に夷港から、おけさ丸が出る。それまで待たなければ、いけない。佐渡には、もう一つ、小木という町もある筈だ。けれども、小木までには、またバスで、三時間ちかくかかるらしい。もう、どこへも行きたくなかった。用事の無い旅行はするものでない。この相川で一泊する事にきめた。

 バスでの相川から小木へは、約1時間半掛かり、一度乗り換えなくてはなりません。それに、頻繁に走っているわけではないので、乗り遅れると最低1時間は待たなくてはならないので、しっかり時刻表を確認しておかなくてはなりません。
c0316988_12374769.jpg
 ここが小木港です。奥に見えるのが汽船乗り場です。小木港は新潟行きではなく、直江津~小木航路になります。
 帰りの新幹線の都合上、1時間半ほどしか居られなかったのですが、どうしても有名な宿根木集落を見ておきたかったので、自転車をレンタルして宿根木まで行ってきました。電動自転車2時間レンタルで500円です。
c0316988_12380263.jpg
 宿根木集落には電動自転車で約20分ほどで到着。これが有名な三角家(さんかくや)です。前に大人の休日倶楽部の宣伝ポスターで吉永小百合がこの三角家の前に立って写っているポスターがありましたね。とても印象的でした。一番これが見たかったのです。
 ボランティアのスタッフから貰ったパンフレットに、『密集した谷間ではきちんとした屋敷が構えられないこともある。しかしながら工夫を重ねてその地形に合った家を建てた。』とありました。
c0316988_12381324.jpg
 こちらもまた何とも風情がありますね。三角家も含めて、この宿根木集落ではノスタルジックな雰囲気をダイレクトに感じることができます。太宰治が和服で、いつものマントを羽織ってここを歩いていたら、さぞかっこよかっただろうなあ。
 もしまた訪れる時があったら、和服でここを歩きたいですね。
c0316988_12383230.jpg
 小木港へ戻った私は、まだ時間が少し猶予があったので、たらい舟に乗りました。
 デジカメを落とさないようにびくびくしながらの撮影。ひっくり返ったことはありますか? と聞くと、一度もありませんと心強い答えが返ってきて安堵する自分がいました。私も試しに漕いでみたのですが、これがまた思っていた以上に難しい。全然すすまない。それでも「お上手、お上手」とお世辞を言ってくれました。

 太宰は外をぶらぶらし、浜野屋に戻った。
これでよいのかも知れぬ。私は、とうとう佐渡を見てしまったのだ。私は翌朝、五時に起きて電燈の下で朝めしを食べた。六時のバスに乗らなければならぬ。お膳には、料理が四、五品も附いていた。私は味噌汁と、おしんこだけで、ごはんを食べた。他の料理には、一さい箸をつけなかった。
「それは茶わんむしですよ。食べて行きなさい」現実主義の女中さんは、母のような口調で言った。
「そうか」私は茶わんむしの蓋をとった。
 外は、まだ薄暗かった。私は宿屋の前に立ってバスを待った。ぞろぞろと黒い毛布を着た老若男女の列が通る。すべて無言で、せっせと私の眼前を歩いて行く。
「鉱山の人たちだね」私は傍に立っている女中さんに小声で言った。
 女中さんは黙って首肯いた。


『これでよいのかも知れぬ。』と、ちゃっかり生活を営んでいる佐渡に対して、太宰は、ようやく『見てしまった空虚』を改め、自分の佐渡に対する期待感を捨て、現実の佐渡を受け入れることができた瞬間であった。

 太宰は昭和15年11月19日午後1時、佐渡夷発午後4時45分新潟港着で帰路に着いた。
 私は小木から両津まで、途中乗り換えながら2時間かけて両津港まで行き、帰りも太宰と同じく、佐渡汽船・おけさ丸に乗り、佐渡に別れを告げました。
 佐渡の記事はこれでようやく終わりになります。

by dazaiosamuh | 2015-07-11 12:47 | 太宰治 | Comments(0)