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太宰治が見た佐渡 №8 相川到着 見てしまった空虚

 久しぶりの佐渡の記事になります。
 太宰は両津からバスで相川まで向かい、そうしてやはり、『佐渡』に対して失望と空虚を味わうことになる。

二時間ちかくバスにゆられて、相川に着いた。ここも、やはり房州あたりの漁村の感じである。道が白っぽく乾いている。そうして、素知らぬ振りして生活を営んでいる。少しも旅行者を迎えてくれない。鞄をかかえて、うろうろしているのが恥ずかしいくらいである。なぜ、佐渡へなど来たのだろう。その疑問が、再び胸に浮ぶ。
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 写真は黄昏時の相川と相川から見た夕陽です。
 太宰は、『見物』の心理について述べている。
見物というのは、之は、どういう心理なのだろう。先日読んだワッサーマンの「四十の男」という小説の中に、「(中略)兎も角それは内心の衝動だったのだ。彼は、その衝動を抑制して旅に出なかった時には、自己に忠実でなかったように思う。自己を欺いたように思う。見なかった美しい山水や、失われた可能と希望との思いが彼を悩ます。よし現存の幸福が如何に大きくとも、この償い難き喪失の感情は彼に永遠の不安を与える」というような文章があったけれども、そのしなかった悔いを噛みたくないばかりに、のこのこ佐渡まで出かけて来たというわけのものかも知れぬ。(中略)来て見ないうちは、気がかりなのだ。見物の心理とは、そんなものではなかろうか。

 つまり、太宰は『死ぬほど淋しい』と聞いていた『佐渡』に対する言い知れぬ期待感ともう一つ、行ってみたいのに『そのしなかった悔い』を味わいたくなかったために、内心の衝動を抑制などせず、自己に忠実に、ここ『佐渡』へとやって来たというわけですね。
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 相川には、まだまだ木造の家屋が多く残っている。これから先、どんどん減っていくはずなので貴重な光景ですね。

大袈裟に飛躍すれば、この人生でさえも、そんなものだと言えるかも知れない。見てしまった空虚、見なかった焦燥不安、それだけの連続で、三十歳四十歳五十歳と、精一ぱいあくせく暮して、死ぬるのではなかろうか。私は、もうそろそろ佐渡をあきらめた。明朝、出帆の船で帰ろうと思った。あれこれ考えながら、白く乾いた相川のまちを鞄かかえて歩いていたが、どうも我ながら形がつかぬ。白昼の相川のまちは、人ひとり通らぬ。まちは知らぬ振りをしている。何しに来た、という顔をしている。ひっそりという感じでもない。がらんとしている。ここは見物に来るところでない。まちは私に見むきもせず、自分だけの生活をさっさとしている。私は、のそのそ歩いている自分を、いよいよ恥ずかしく思った。

 先ほど書いた通り、太宰は、『そのしなかった悔いを噛みたくないばかり』に『佐渡』へ来たはずであったが、しかし、『佐渡』は旅行者太宰に対して、『何しに来た』という態度であった。結果的に、『そのしなかった悔い』は、『見てしまった空虚』に変わってしまったのである。
 もしこれが、「佐渡で美味しいお酒を飲み歩きたい」「佐渡の歴史を調べたい」といった理由であったら、『佐渡』にこれほど失望することはなかったはずである。
 『佐渡』に対する太宰の期待感と、現実の『佐渡』はまるで違っていたのだ。

 太宰は相川でも1泊していて、一応建物が残っています。次回はその記事を載せたいと思います。

by dazaiosamuh | 2015-06-25 13:55 | 太宰治 | Comments(0)