太宰治が見た佐渡 №5 料亭・弁慶跡!!
やっと見つけた。軒燈には、「よしつね」と書かれてある。義経でも弁慶でもかまわない。私は、ただ、佐渡の人情を調べたいのである。そこへはいった。』
太宰が泊まった旅館が『本間旅館』であったことは、すでに太宰研究家の長篠康一郎の『太宰治 文学アルバム』で分かってましたが(場所は分かりませんでしたが)、太宰の『佐渡』に登場する『よしつね』等も記載されていました。
『「よしつね」とは弁慶(両津タクシーの裏)のことで、八郎平町にあったが、経営者は終戦後に東京へ帰ってしまった。』

死ぬほど淋しいところだと聞いていた佐渡で、太宰は人情を知り、何かしらの旅愁、情緒を感じたい、という期待感を強く持っていた。しかし、何のこともない。感傷に浸るどころか、失望の色が濃くなっていくだけであった。
『この料亭の悪口は言うまい。はいった奴が、ばかなのである。佐渡の旅愁は、そこに無かった。料理だけがあった。私は、この料理の山には、うんざりした。』
蟹、鮑、蠣など、次々出される料理にうんざりした太宰は、お酒だけでいいのです、と言い芸者を呼んでもらうが、『小さい女が、はいって来た。君は芸者ですか? と私は、まじめに問いただしたいような気持にもなった』のであった。 『この女のひとの悪口も言うまい。呼んだ奴が、ばかなのだ。』
太宰は出された料理を芸者にもすすめるのであった。太宰は料理に対して、『私は一つの皿の上の料理は、全部たべるか、そうでなければ全然、箸をつけないか、どちらかにきめている』そうだ。
『私は目前に、むだな料理の山を眺めて、身を切られる程つらかった。この家の人、全部に忿懣を感じた。無神経だと思った。
「たべなさいよ」私は、しつこく、こだわった。「客の前でたべるのが恥ずかしいのでしたら、僕は帰ってもいいのです。あとで皆で、たべて下さい。もったいないよ」
「いただきます」女は、私の野暮を憫笑するように、くすと笑って馬鹿丁寧にお辞儀をした。けれども箸は、とらなかった。
すべて、東京の場末の感じである。
「眠くなって来た。帰ります」なんの情緒も無かった。』

宿へ帰った太宰は、夜半、ふと眼がさめた。聞こえてくる波の音に、初めて『佐渡』という孤島にいることを実感し始めた。
『ああ、佐渡だ、と思った。波の音が、どぶんどぶんと聞こえる。遠い孤島の宿屋に、いま寝ているのだという感じがはっきり来た。眼が冴えてしまって、なかなか眠られなかった。謂わば、「死ぬほど淋しいところ」の酷烈な孤独感をやっと捕えた。おいしいものではなかった。やりきれないものであった。けれども、これが欲しくて佐渡までやって来たのではないか。(中略)自分の醜さを、捨てずに育てて行くより他は、無いと思った。』
佐渡の人情を知りたかった太宰は、よしつね(弁慶)に入ったが、『旅愁は、そこに無かった。料理だけ』があった。そして、実感として佐渡を感じたのが、宿屋での床についているときに聞こえてくる、佐渡のどぶんどぶんという波の音だけであった。