太宰治の弟子・田中英光のお墓

 太宰治が好きな人で田中英光を知らない人はいないはず。何と言っても太宰のお墓前で自殺を図り死んだのだ。といっても、田中英光は本当に死にたかったのかどうかは明かされていない。書籍関係やネットでは、あくまで『自殺』とされている。
 田中英光は、大正13年(1913年)1月10日に生まれ、亡くなったのは、昭和24年(1949年)の11月3日。太宰の亡くなったのは、昭和23年(1948年)6月13日。太宰の死から、僅か1年後に亡くなっている。英光は、太宰を師とし、非常に敬愛していた。太宰の死は英光に強い衝撃を与え、それ以降、睡眠薬中毒になり、無頼に走るようになったとされている。

 田中英光が眠るのは、広大な面積を誇る青山霊園だ。広くて迷いやすいので、お目当ての有名人のお墓参りに行く時は、事前に調べておくことが懸命。
 そう言いつつも、私は40分以上探し回った。西地区や東地区、立山地区などエリアが分れているため、探すのに骨が折れる。辿り着いた時には、まだ気温が寒いというのに、汗だくになっていた。おかげでこの後、観に行こうと思っていた映画の時間に間に合わなかった。
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 田中英光のお墓は、青山霊園の『立山地区』のエリアにある。下り坂の途中にあった。英光の死について、太宰の短編『メリイクリスマス』のモデルになった林聖子さんは、『風紋50年』の中で、医療ミスによるものでは? と書いている。

たぶん、誰かと会いたかったのね。田中さんは太宰さんのお墓の前で、アドルム(催眠剤)をおつまみに、お酒を飲み始めて。
 そのうち田中さんが暴れ出したって、野平さんのところに連絡が行ったの。とにかく手がつけられないから、私のうちが一番近いというので、和尚さんが「林聖子ちゃんのところに連絡しろ」って言ったら、田中さん、まだ意識があって、「林聖子は留守だぞ」って言ったそうなの。あとから、野平さんに聞いたんだけど。
 何しろ、田中さんが暴れるから、手足をタヌキみたいに結わいて、リヤカーに載せて、武蔵野病院に連れていったの。その日は、祭日で、先生方がいなくて、インターンの方しかいなかったのね。それで、胃洗浄するのに、どうも舌を巻き込んじゃったようなの。今で言えば、医療ミス。胃洗浄なんて、慣れた人なら簡単なんですって。だから、私と野平さんは、「本当に田中さんは死ぬつもりだったのか」って、言っていたの。ただ、田中さんは太宰さんが亡くなって、ショックだったみたいだから。
 田中さんは筑摩書房の前の電信柱に体当たりして、それが曲がったって、井上さんや石井さんが言っていたわね(笑)。それぐらい体格のいい人だった。
』(風紋50年

 もしかしたら、英光は、太宰の墓前で自棄酒でもしていたのではないでしょうか。催眠剤などにアルコールは危険でしょう。胃洗浄が上手くいっていれば、助かったかもしれませんね。
 自分の墓前で弟子に自殺をされるとは、太宰も苦笑したことでしょう。

 田中英光は、『オリンポスの果実』などが有名です。
 また、太宰治の『お伽草子』にある『カチカチ山』に出てくるタヌキは、田中英光がモデルではないかと言われている。



by dazaiosamuh | 2015-03-18 11:02 | 太宰治 | Comments(0)