太宰治 お伽草紙『カチカチ山』 №7 煙草『敷島』のモデル

 太宰版『カチカチ山』で、少し話が脱線して、太宰は煙草の『敷島』について触れている。煙草『敷島』のモデルになった場所があるようだ。

鸕鷀島(うがしま)の松林は夕陽を浴びて火事のようだ。ここでちょっと作者は物識り振るが、この島の松林を写生して図案化したのが、煙草の「敷島」の箱に描かれてある、あれだという話だ。たしかな人から聞いたのだから、読者も信じて損は無かろう。もっとも、いまはもう「敷島」なんて煙草は無くなっているから、若い読者には何の興味も無い話である。つまらない知識を振りまわしたものだ。とかく識ったかぶりは、このような馬鹿らしい結果に終わる。まあ、生れて三十何年以上にもなる読者だけが、ああ、あの松か、と芸者遊びの記憶なんかと一緒にぼんやり思い出して、つまらなそうな顔をするくらいが関の山であろうか。』(カチカチ山
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 河口湖沿いのバス停には、『敷島の松』という名前のバス停がありました。そのすぐ近くには、松林が続いています。ここが煙草『敷島の松』のモデルになった場所ということでしょうか。
 煙草『敷島』は、1904年6月29日から販売され、1943年12月下旬に終了している。当初は国産の高級煙草であったらしい。フィルターは、現在のものとは異なり、紙巻煙草に「口紙」と呼ばれるやや厚い円筒形の吸い口を着けたもので、喫煙時に吸いやすいようにつぶして吸ったものである。1920年3月19日に、両切りタイプも発売されたが、その月の30日に、つまり、僅か10日たらずで販売が終了した。日本一販売期間の短い煙草とされている。
 太宰が亡くなったのは1948年なので、太宰が33、34歳ぐらいの時には既に販売は終了していたことになる。
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 ちなみに、『女生徒』のなかでは主人公はこんなことを言っていた。
きょうのお客様は、ことにも憂うつ。大森の今井田さん御夫婦に、ことし七つの良夫さん。今井田さんは、もう四十ちかいのに、好男子みたいに色が白く、いやらしい。なぜ、敷島なぞを吸うのだろう。両切の煙草でないと、なんだか、不潔な感じがする。煙草は、両切に限る。敷島なぞを吸っていると、そのひとの人格までが、疑わしくなるのだ。いちいち天井を向いて煙を吐いて、はあ、はあ、なるほど、なんて言っている。

煙草は、両切に限る。敷島なぞを吸っていると、そのひとの人格までが、疑わしくなるのだ。』と断言している。そして、太宰がよく吸っていた煙草は、『ゴールデンバット』『ピース』などで、どちらも両切りタイプだ。
 これをみて分かる通り、太宰はやはり、両切りタイプの煙草が好きだったようだ。
 しかし、一度でいいから、太宰吸ったことのある『敷島』も吸ってみたかったです。

 これにて、お伽草紙『カチカチ山』の記事は終了です。

by dazaiosamuh | 2015-03-01 20:41 | 太宰治 | Comments(0)