太宰治と水上 №1 水上駅

あやまった人を愛撫した妻と、妻をそのような行為にまで追いやるほど、それほど日常の生活を荒廃させてしまった夫と、お互い身の結末を死ぬことに依ってつけようと思った。早春の一日である。』(姥捨

 太宰治の昭和10年7月頃から昭和11年11月頃までは、主に船橋時代と言われている。私もすでに船橋時代について記事に書いている。この時期は、太宰の人生において、とても重要な期間で(どの時期においても重要だとは思うが)、パビナール中毒の疑い、武蔵野病院での1ヶ月間の入院、芥川賞落第、先輩作家達との確執、妻・小山初代の不貞行為など、その後の太宰の人生に大きく影響を与えた時期であった。
 そして、この船橋時代とその後に、調べる限りでは2回、水上を訪ねている。詳しく言うと、1回目は昭和11年8月7日で、パビナール中毒と肺病を癒すために、単身群馬県谷川温泉にある『川久保屋』に宿泊している。そして2回目は、翌年の昭和12年3月20日前後頃、今度は妻・小山初代と共に水上村谷川温泉を再訪、同じく『川久保屋』に投宿し、翌日、初代と谷川岳の山麓でカルモチンによる心中を図るも未遂に終わる。

『「死のうか。一緒に死のう。神さまだってゆるして呉れる。」』

 太宰は谷川岳山麓での小山初代との心中未遂を題材に、『姥捨』を書いてる。
「水上に行こう、ね」その前のとしのひと夏を、水上駅から徒歩で一時間ほど登って行き着ける谷川温泉という、山の中の温泉場で過ごした。真実くるし過ぎた一夏ではあったが、くるしすぎて、いまでは濃い色彩の着いた絵葉書のように甘美な思い出にさえなっていた。白い夕立の降りかかる山、川、かなしく死ねるように思われた。水上、と聞いて、かず枝のからだは急に生き生きして来た。』(姥捨
c0316988_16565940.jpg
 こちらが、現在の水上駅になります。文字が金色でビックリしました。私が訪れたのは、先月半ば過ぎで、例年より雪の降る日が早く、しかも大雪であった。写真の通り吹雪いていたが、そのためも相俟って、金色の水上駅の文字が輝いて見えた。
水上駅に到着したのは、朝の四時である。まだ、暗かった。心配していた雪もたいてい消えていて、駅のもの陰に薄鼠いろして静かにのこっているだけで、このぶんならば山上の谷川温泉まで歩いて行けるかも知れないと思ったが、それでも大事をとって嘉七は駅前の自動車屋を叩き起こした。
 自動車がくねくね電光型に曲折しながら山をのぼるにつれて、野山が闇の空を明るくするほど真白に雪に覆われているのがわかって来た。
』(姥捨

 私はこの日、宿泊する旅館から、電話を掛ければ迎えに行きます、と言われていたのですが、どうしても途中の太宰と初代が心中した地点と、そこにある太宰の文学歌碑を見たかったので、激しく吹雪いていましたが、私も雪の降る東北出身ということもあり、意を決して、自分の足で谷川方面を目指すことにしました。
c0316988_16571053.jpg
 この太宰と初代の心中事件にまつわる事柄等に疑問を投げかけ、徹底的に調査、研究した長篠康一郎は、後に『太宰治水上心中』という本を出している。この本が、今回の太宰ゆかりの地巡りに非常に役に立った。ちなみに、太宰が宿泊した場所は、谷川温泉で、水上温泉ではない。この水上温泉と谷川温泉は非常にまぎらわしいが、この2つは元々別の温泉郷であって、水上駅付近を水上温泉といい、水上温泉から谷川に沿って1時間ばかり登った山間の温泉郷を谷川温泉というらしい。

 長篠康一郎著『太宰治水上心中』よると、昭和12年3月における天候について、湯原観測所によれば、この年の3月から4月にかけて、相当な積雪量のあったことが記録されていて、少なく見積もっても水上側で4、50㎝、恋沢側で7、80㎝以上であったらしい。さらに、当時谷川地区では、毎年、『区長の引渡し式』が行われる4月まで、積雪のために車は一切通れないとのこと。『区長の引渡し式』とは、村の長(おさ)が交代する儀式のことで、その日には村民総出で除雪作業に従事し、車馬の通行可能な状態にして次の新しい区長と交代する習わしをいう。
 そして、長篠康一郎は『以上のように、「姥捨」の作者は、昭和十二年春三月の谷川温泉に関しては、現実の認識に欠けており、昭和十一年八月のひと夏を過ごしたさいの思い出(昭和十二年五月以降に初代と最後の記念の旅行をしたのでなければ)のほかは、すべて想像によって書きあげた心中物語の輪郭が、しだいに鮮明になってこよう。』と書いている。

 太宰はよく自分を題材にした小説を書くため、それが事実そのままなのか、疑問に問われることが多くある。挙句の果てに、太宰の年譜には、小説を鵜呑みにし、そのままを事実として年譜に記載されている書籍も非常に多くあるため、非常にまぎらわしい。太宰治ほど、小説と事実について論争が起こる作家も珍しいのではないでしょうか。
 

by dazaiosamuh | 2015-01-04 17:02 | 太宰治 | Comments(0)