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太宰治 新潟『みみずく通信』 №1 埃っぽい街

無事、大任を果たしました。どんな大任だか、君は、ご存じないでしょう。「これから、旅に出ます。」とだけ葉書に書いて教え、どこへ何しに行くのやら君には申し上げていなかった。てれくさかったのです。また、君がそれを知ったら、れいの如く心配して何やらかやら忠告、教訓をはじめるのではないかと思い、それを恐れて、わざと目的は申し上げずに旅に出ました。』(みみずく通信
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 太宰は昭和15年11月16日、案内役の野本秀雄(新潟高等学校卒、東京帝国大学文学部国文科在籍)と共に上野駅を発ち、新潟駅に到着した。旧制新潟高校で講演を行うためであった。太宰は旧制新潟高校で講演を終えた翌日、佐渡へと渡っている。
 今回、私は佐渡へは行かずに、主に『みみずく通信』の太宰の足跡を辿ってみた。

けさ、新潟へ着いたのです。駅には、生徒が二人、迎えに来ていました。学芸部の委員なのかもしれません。私たちは駅から旅館まで歩きました。何丁くらいあったのでしょう。私は、ご存じのように距離の測定が下手なので、何丁程とも申し上げられませんが、なんでも二十分ちかく歩きました。新潟の街は、へんに埃っぽく乾いていました。捨てられた新聞紙が、風に吹かれて、広い道路の上を模型の軍艦のように、素早くちょろちょろ走っていました。道路は、川のように広いのです。電車のレエルが無いから、なおの事、白くだだっ広く見えるのでしょう。』(みみずく通信
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 太宰が『新潟の街は、へんに埃っぽく乾いていました。』などと書くものだから、私も最初から先入観で、埃っぽい街なのだと思いながら、新潟駅に到着したのでした。
 いざ到着すると、別段、埃っぽいとは思いませんでしたが、私が訪れたのは今年の10月のことで、雨も少し降っていたこともあり、秋風がぴゅうぴゅうと頬を撫でる度に、ずいぶん寂しい季節に来てしまったものだと思ってしまった。ちなみに、『捨てられた新聞紙が、風に吹かれて、広い道路の上を模型の軍艦のように、素早くちょろちょろ走って…』はいませんでしたが、雨を含んだ秋の枯葉が、風に吹かれて、時には交差点の真ん中で、小さく渦を巻き、そうして道路の横脇にたどり着き、ほっと一息ついているような様子でした。

 ブログの更新が遅くなってしまっていますが、自分のペースで根気よく書いていきたいと思います。
 次回は、萬代橋を載せます。

by dazaiosamuh | 2014-11-28 22:25 | 太宰治 | Comments(0)