太宰治 『葉』の舞台!日本橋!

選ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり

 ヴェルレエヌの詩から用いられたこの言葉は、太宰の処女創作集『晩年』の中にある短編『』に書かれている。『葉』は『晩年』の巻頭を飾った作品である。作品としては、第4作品目にあたる。ページを開いて、まず飛び込んでくるこのヴェルレエヌの詩は、太宰ファンのみならず、初めて本を手にした人に強い印象を与える。

死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。
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 この『葉』の作品の中で、東京で有名な日本橋が登場する。高速道路の下に位置しているこの日本橋は、私が来た時は青空が広がっていたが、それでも、やはり薄暗かった。
むかしの日本橋は、長さが三十七間四尺五寸あったのであるが、いまは廿七間しかない。それだけ川幅がせまくなったものと思わねばいけない。このように昔は、川と言わず人間と言わず、いまよりははるかに大きかったのである。
 この橋は、おおむかしの慶長七年に始めて架けられて、そののち十たびばかり作り変えられ、今のは明治四十四年に落成したものである。大正十二年の震災のときは、橋のらんかんに飾られてある青銅の竜の翼が、焔に包まれてまっかに焼けた。

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 紋章を抱く獅子の像、翼を持つ麒麟の像、それぞれが、まるで橋の番人のようであった。下手な観光スポットよりも、随分見応えがある、そう思った。

ことし、十二月下旬の或る霧のふかい夜に、この橋のたもとで異人の女の子がたくさんの乞食の群からひとり離れて佇んでいた。花を売っていたのは此の女の子である。三日ほどまえから、黄昏どきになると一束の花を持ってここへ電車でやって来て、東京市の丸い紋章にじゃれついている青銅の唐獅子の下で、三四時間ぐらい黙って立っているのである。日本のひとは、おちぶれた異人を見ると、きっと白系の露西亜人にきめてしまう憎い習性を持っている。。(中略)しかし、誰かひとりが考える。なぜ、日本橋をえらぶのか。こんな、人通りのすくないほの暗い橋のうえで、花を売ろうなどというのは、よくないことなのに、……なぜ?
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 この日本橋で異人の少女が花を売る場面で、太宰は、「なぜ、日本橋を選ぶのか。よくないことなのに、……なぜ?」と読者に問いかけている。それは即ち、なぜ太宰は作品の舞台にわざわざ日本橋を選んだのか、ということである。
 この問いに対し、太宰研究に半生を捧げた長篠康一郎が『太宰治文学アルバム 女性編』に、『いくつかの解釈が可能となるが、そのひとつは、日本橋の橋の長さに就いてである。この花売娘の話は、べつに日本橋を舞台とせずとも成立する物語であるから、その長さを問題として考えれば、「三十七間四尺五寸」とは、三七四五(ミナシゴ)とも読みとれるし、「二十七間」とあるは(フナ=鮒)の意に解することもできよう。(中略)三七四五(孤児)、二七(鮒)とは、『漁服記』の主人公スワが小鮒に変死したごとくに、心中事件後の急激な境遇の変化と、当時の心情を仮託したところの、自己の運命の象徴と見られぬこともない。(中略)昔も今も日本橋は、「人通りのすくないほの暗い橋」ではなかったわけで、物語の舞台に日本橋をえらんだ作者の意図は、他に理由ありとみて、さしつかえないであろう。』と推測を述べている。

 太宰が計算して日本橋を舞台に選んだのか、自身の体験が無意識にそうさせたのかは分からない。もしかしたら、どちらでもなく、私が麒麟と獅子の像を見て、見応えがあると、思ったように太宰もただ気に入っただけだったのかもしれない。

生活。

 よい仕事をしたあとで 一杯のお茶をすする お茶のあぶくに きれいな私の顔が いくつもいくつも うつっているのさ どうにか、なる。


 私は、ヴェルレエヌの詩から用いられた『選ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり』よりも、『葉』の最後に書かれた、上記の詩が好きである。太宰らしさが滲んでいるように見える。

 どうにか、なる。
 私も、人生そう思いながら生きて行こうと思った。









by dazaiosamuh | 2014-09-29 01:09 | 太宰治 | Comments(0)