太宰治 奥多摩の御嶽へピクニック!! №4 寒山寺

 楓橋を渡ると、寒山寺に通じる階段と梵鐘がすぐに目に入る。早速梵鐘のそばに行き、鐘を撞いてみたのですが、少し緊張し、力が弱かったため、小さく、ゴンっと鳴っただけでした。それでも思わず、周りをキョロキョロ見ては、一人で首をすくめ、顔を赤くする自分が居た。
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青柳瑞穂の生涯』には、『橋の向こうには寒山寺の鐘撞き堂があり、早速誰かがひとつ撞いた。みると、「乱打してはいけない」と注意書きがある。この梵鐘は、その後戦争で供出されてしまった。』と書かれています。
 ということは、この鐘は太宰たちが訪れた当時の鐘ではない、ということなのでしょうか。この鐘を誰が撞いたのかは記載がなかったため不明です。ちなみに、私が来た時は『乱打してはいけない』などとは書かれていませんでした。かと言って、乱打する気など毛頭ないが。

 すぐ脇の階段を上がると寒山寺なのだが、寒山寺前の階段は非常に急斜面であった。転げ落ちたらひとたまりもない、踊り場の横はすぐ崖で、多摩川である。恐る恐る階段を上ると、何とも趣のあるお寺・寒山寺がひっそりと建っていた。
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阿佐ヶ谷会文学アルバム』より。
寒山寺は、山蔭で寒く、なんの味もない新しいお堂だつたが、場所は絶佳、建立者が支那から持つて来た仏像が、本尊に祭つてあるといふ。断崖の木の間を透かして、川の流れと、河原に残つた雪が見え、その雪が白い瀬のやうで、いづれが川だか見粉ふ気持だった。
 当時からしたら『なんの味もない新しいお堂だつた』かもしれないが、今では、その少し古びた味わい、というのか、山の中腹に良く溶け込んでいるような気もする。階段、手摺の古びた様子や人があまり訪れない様も、どことなく寂しくも、それがまた風情があってよい。
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 お寺に入りると、パンフレットが置かれていた。自由に持っていっていいみたいで、持ち帰り読んでみると、寒山寺の由緒が書かれていたので、ほんの少しだけ載せたいと思います。
この寺の由緒は、明治十八年に遡り、時の書家、田口米舫氏が中国に遊学した折、姑蘇城外の寒山寺を訪れ、主僧の祖信師より、日本寒山寺の建立を願って、釈迦仏木像一体を託されたのに始まります。帰国後、米舫氏は、適地を求めて日本全国を遍歴中、幽すいでありながら交通の便がよく、人心の素朴なこの澤井の地を発見、地主の清酒澤乃井醸造元当主の小澤太平翁の尽力によって、昭和五年落慶しました。
』と記載されていた。
 寒山寺は中国から伝わってきたのですね。そして、来る途中に太宰たちも見た、清酒澤乃井醸造が深く関わっていたとは、このパンフレットを読んで初めて知りました。さらに、梵鐘について『鐘声は、つく人の祈りと煩悩をのせて、多摩川の清流にまにまに流れゆきあとにはひと時の静寂と浄福が訪れ、しばし俗塵を忘れさせてくれます。』と紹介しています。思わず多摩川を眺めながら鐘を撞きたくなりますね。

 興味の湧いた方は、是非、自分の足で訪ねてみてください。
 次回は、多摩川沿い散策の記事を書きます。

 




by dazaiosamuh | 2014-08-04 18:39 | 太宰治 | Comments(0)