太宰治 記載のないゆかりの地 割烹旅館玉川

 目的の『割烹旅館玉川』に行く途中、『つるや伊藤』『川奈部書店』と2つのゆかりの地を偶然発見することができたが、しかし、本来の目的は玉川旅館の伺察だ。
 今回はあくまで『伺察』であって、『視察』『調査』ではないことを言っておく。
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『川奈部書店』を後にした私は、船橋市役所を目安に進んだ。途中、『割烹旅館玉川』の案内が電柱に貼ってあることに気が付いた。それも1ケ所だけではない。数カ所の電柱などに貼ってあり、市役所を目安にする必要も無かった。
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 辿り着くと、いきなり『玉川』の文字が目に飛び込んできた。木造でどっしりと構えているかのように見えた。太宰が泊まったかどうかは別として、流石は創業大正10年の老舗旅館だと、思わずその場で立ち竦んでしまった。ビルに囲まれているため、非常にまわりとのギャップを感じずにはいられない。この玉川旅館は千葉県の登録有形文化財に登録されているのだが、サイトのトップページには『太宰治ゆかりの宿』とは書かれていても、『登録有形文化財』とは書かれていなかった。Wikipediaを見て初めて知った。

 果たして、太宰はここに20日間も泊まったのでしょうか。以前の記事にも書きましたが、年譜など、関連書籍には載っていなかった。それとも私が見つけられなかっただけなのか。太宰はお金が払えず、代わりに本数冊と万年筆を置いていったらしい。ネットで少し発見したので引用させてもらう。

長逗留する客には「10日締め」という習慣があった。女将が10日目に宿泊代を請求した。太宰は手元に金はないという。仕方なく10日間泊めたが、やはりお金を払わない。フランス語の辞書と本数冊、万年筆を借金のかたにとり、お引き取り願ったという。
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 当時の女将が大事に麻袋にいれて保管していたらしいのですが、昭和51年に住居部分が火事で全焼し、その時に一緒に燃えてしまったとのこと。太宰が20日間泊まり、本や万年筆を置いていったことが本当なら、非常に残念である。
 これではもはや、知る手がかりは一切ないということか。さらに、Wikipediaには、『太宰治が滞在した事でも知られ、前期の傑作「ダス・ゲマイネ」「虚構の春」「狂言の神」の作品がここで書かれた。』と載っていた。
 しかし、こちらも年譜には玉川旅館で書かれたとは記載されていない。

 謎だらけである。泊まって話を聞いてみたいが、有力な情報は、もはや手に入らない気がする。いつか気分が向いたら泊まりに行こうと思う。

by dazaiosamuh | 2014-07-19 22:22 | 太宰治 | Comments(0)