太宰治 ひそかに立ち寄っていた本屋 川奈部書店

つるや伊藤』では、太宰が料金を踏み倒したというエピソードを偶然発見することができた。そして、新たに『川奈部書店』も料金を踏み倒されたという情報を入手し、お店へと向かうことにしたのだ。
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川奈部書店』は、『つるや伊藤』から僅か1、2分の、車の行き交う十字路のすぐ角にお店を構えていた。古い外観ですが、当時から変わらないのでしょうか。看板も少し見にくいですね。早速、お店の中に入ると、年配の女性が1人いるだけでお客さんはいませんでした。今となっては、太宰がいた時代の人たちは亡くなられていることが殆どなので、多分、何も情報は聞けないだろうとは思っていましたが、一応話しかけてみました。
 その女性に、「昔、太宰治がここで本代を払わなかったという話を聞いたのですが、何か話しは知りませんか」と聞くと、「いやあ、すみません。私は全くそういう話は聞いたことがありません。詳しい話は何も……」との返答。ある程度予想はしていました。しかし、こうなると太宰がこの『川奈部書店』に来たこと自体が疑問になります。太宰の旧宅跡から、僅か5、6分の距離なので立ち読みくらいはあるだろうとは思いますが。
 相手から、全く聞いたことはありません、と言われたらそれ以上話すことはありません。私は本棚の本には目もくれず、しぶしぶ、お店を出て行きました。
 この後、私は目的の玉川旅館へと向かうのですが、実はこの日から僅か数日後、古本屋で船橋太宰文学研究会が調査し、作成した『夾竹桃』という60ページしかない本(冊子?)に、なんと『川奈部書店』のことが記載されていました。
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 船橋太宰文学研究会発行『夾竹桃』の第3号(昭和57年6月10日発行)の最初のページ、「竹のステッキの人 船橋時代の太宰治 北川功」に、『先年亡くなった川奈部雄之助さん(川奈部書店主)の話によると、太宰は毎朝七時頃船橋薬局に行き、その帰りに必ず川奈部書店に立寄り、月々の文芸雑誌を買って帰ったという。一日に二度顔を出すこともあった。代金は後払いで毎月末に払ってもらった。』と書かれているではないか。そうか、やはり太宰は『川奈部書店』に来たことがあるようだ。料金が未払いだったかどうかは記載がなかったため分からない。
 さらに、『船橋薬局のほかに、内山薬局、川奈部薬局の名前が挙がってくるし、最初、右島薬局にもパビナールをねだって断られている。
 船橋薬局店主は荻原茂二さんといった。夫妻とも既に物故し、同薬局も今は無い。しかし、太宰が直接同店に足を運び又は初代が津軽なまりの声で何度か電話でパビナールを頼み込んだことなどは、確かな証人もいる。私は、太宰がある時期、船橋薬局を”日課„のように利用したという故川奈部書店主の言を信じていいと思っている
』と記載されているが、太宰研究に半生を捧げた長篠康一郎は、『太宰治文学アルバム 女性編』で、『船橋地区におけるパビナールは、川奈部薬局が当時一手で各病医院に納入していた関係で、在庫量、使用料はつねに正確に記帳されており、川奈部薬局以外からの入手は考えられない。』と書いている。
 さて、どちらが本当なのでしょうか。確かな確証は今となっては手に入らないので、真相は分かりません。『夾竹桃』の方には「確かな証人もいる」と書いてあるが、詳しい内容(その証人が誰なのか、期日はいつかなど)は記載されていないので、読み手からすると甚だ疑問だ。
 ただ、料金を払わなかったかどうかは不明だが、『川奈部書店』に来たことがあるのは確かだとは思う。

 今回は、偶然ゆかりの地を発見することができたので思わぬ収穫であった。もしかしたら、探せば他にも色々あるかもしれないが、当時からある店、建物はどんどん減少している。他にも探すなら今しかない。ネットや書籍での情報にも限りがある。疑問を持った建物、お店を発見したら、躊躇うことなく、根気よく聞き込みをしていくしかない。





by dazaiosamuh | 2014-07-16 17:55 | 太宰治 | Comments(0)