太宰治 料金を踏み倒されたお店 「つるや伊藤」染物店

 太宰治のゆかりの地を探していたら、ある旅館に太宰が止宿している内容の情報をネットで発見した。
 それは、船橋にある旅館で、『割烹旅館玉川』という旅館らしい。しかし、今まで船橋の太宰のゆかりの地を探していたが、中々見つけることができなかった。『割烹旅館玉川』のホームページには、太宰治ゆかりの宿 昭和10年7月1日に船橋へ転居した太宰治、20日余り、同館「桔梗の間」に宿って小説を書いてました。』とトップページに載せてある。
 ほう?そうなのか。色々と関連書籍を読み漁っていたが、玉川旅館の記載された内容は、一度もお目に掛かったことがない。それとも私が見過ごしてきたのか。再度、太宰の船橋時代が書かれた本のページを何度も捲るも、やはり、書かれていない。そこで、太宰が船橋で過ごした期間を年譜で調べたが、こちらも一切の記載がない。
 
 これはいったいどうゆうことなのでしょうか。旅館には泊まりに行くわけではないが、一応、私は外観だけでもこの目で見ておこうと思い、現地へと飛んだ。

 久しぶりの船橋である。折角なので、太宰の旧居跡にまた行ったのだが、やはり車が邪魔(私有地なので邪魔とは失礼ですが)で、写真を撮るのはやめました。
 玉川旅館は市役所のすぐ近くなので、市役所を目安に進んでいく途中、老舗の染物店の前に出た。
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つるや伊藤』という染物店で、かなり創業は古いと見える。なにげなく横に立ててある掲示板に目をやると、ある新聞記事の切り抜きに目が留まった。
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 その内容を引用させてもらうと、『太宰治とも接点 作家の太宰治は昭和10(1935)年から1年数カ月の間、船橋で暮らし、「ダス・ゲマイネ」「虚構の春」などの作品を残した。「十五年間」という作品で太宰は「私には千葉県船橋町の家が最も愛着が深かった」と書いている。「つるや伊藤」とも接点があったようだ。「祖父から『うちで着物を洗い張りしたのだが、料金を踏み倒された』と聞いた」と伊藤さん。暮らしに即したなりわいの老舗ならではの秘話だ。放蕩無頼、破滅型の太宰がつかの間の安息を得たことも言える船橋時代、いかにもありそうな話だ。』と書かれていた。
 思わぬ発見に嬉し驚いた。それなら何か話が聞けるのではないかと、「つるや伊藤」の店に入った。
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 店に入り、すみませんと一声掛けるとお兄さん(30代かな)が出て来た。太宰のゆかりの地を歩いている事、掲示板で『つるや伊藤』と太宰のエピソードを発見したことを伝え、何か他にも話を聞けないかと尋ねてみるが、太宰の話しに詳しい者が今不在のため分からないと言われてしまった。
 それどころか、掲示板に新聞記事の切り抜きが掲示してあること自体分かっていなかったようだ。掲示板の前まで案内し、見てもらうと、「太宰との関わりは、まあ、ここに書かれている通り、料金を踏み倒された、ということですね。まあ、それだけのことだと思います。」とのこと。
 しかし、「そういば、他にも料金を踏み倒されたお店が近くにもあるみたいですよ」と言ったので、「え、どこですか」と聞くと、「すぐ近くの十字路の角にある『川奈部書店』も料金を踏み倒された、と噂を聞いた事がある」と教えてくれた。

 ついでなので私は、玉川旅館に行く前に寄ることにした。お兄さんにお礼を言い、早速、『川奈部書店』へと向かうのであった。


by dazaiosamuh | 2014-07-11 10:17 | 太宰治 | Comments(0)