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太宰治 知る人ぞ知る! 銀座のバー・ルパン №1

 桜桃忌である6月19日の数日前、私は友人Sさんと仕事帰りに夕刻、銀座付近を彷徨っていた。仕事帰りにある場所に行く予定をしていたのだが、開店時間は17時からのため、時間潰しをしていたのだ。
 場所は、知る人ぞ知る、銀座バー・ルパンだ。服装は桜桃忌の日と同じで、一応、バー・ルパンで写っている太宰の写真を真似てやってきた。白いYシャツにネクタイ、ベストを着用し、ブーツもそろえた。
 
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 いよいよ開店時間になり、Sさんが先陣を切って扉を開いた。そういえば、以前、Sさんと安酒を飲んだ帰りに勢いでここまで来たことがあった。雨の降りそそぐ、残暑の続く秋の頃だったような気がする。その時は生憎、お休みであった。しかし、酔っていたこともあり、すぐ横の階段の平らな部分で、太宰の写真で有名な、左手で頬杖をつくポーズを撮った。実に阿保であった。お互いにあまり記憶になかった。
 しかし、今回は素面だ。中に入ると食器の音が聞こえる。Sさんを先頭に階段をゆっくりと下りていくと、奥にマスター、そして手前に女性2人の店員がいた。
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 手前にいた女性の店員に、「もうよろしいんでしょうか」と訊くと、返事はなかった。冷たい張りつめた空気が流れたが、どうにかカウンターに腰を下ろした。
 ここに来た目的は、太宰と似た服装で、似たポーズで写真を撮ることであった。
 マスターに思い切って話しかけると、とても話しやすく、私とSさんはホッと胸を撫で下ろした。

 銀座、バー・ルパンは1928年(昭和3年)に開店した。開店当時は、「カフェー」という、女給のサービスでお酒を飲ませる洋風の酒場スタイルだった。それを1935年(昭和10年)9月に、現在のようなヤチダモのカウンター・バーに改装した。その時に、控室だった1階も改装してL字形のカウンターを作り、営業を始めたそうだ。
 やがて戦争が始まり、1941年(昭和16年)には洋風の店名は禁止され、「ルパン」は「麺包亭(ぱんてい)」と名乗るようになった。1944年(昭和19年)には戦局も苛烈を極め、政令により一斉休業になってしまった。
 1945年(昭和20年)1月に銀座は大空襲を受けるが、ルパンは幸いにも直撃は免れた。漏水や破損など少なからず被害は受けたものの、1946年(昭和21年)1月には、珈琲店として再開し、1949年(昭和24年)5月に酒類が自由販売になるまでは、様々な手立てで酒を仕入れて売る時代が続いた。この時代は、闇酒などが出回っていたりなどしたが、ルパンなら安心だと、作家や出版関係の人々を中心に、沢山のお客様が帰って来てくれるようになったそうだ。
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 太宰が座った場所を、マスターが親切に教えてくれたのだが、詳しい感想は、また次回に載せたいと思います。
 


by dazaiosamuh | 2014-06-26 00:23 | 太宰治 | Comments(0)