太宰治の住んだ町 荻窪紀行 №6 東京衛生病院

 腹ごしらえを済ませた私は、井伏鱒二が息を引き取った病院・東京衛生病院へと向かった。建物は大きく殆ど迷うこともなく辿り着くことができた。

 東京衛生病院は昭和4年に建てられました。現在の東京都杉並区天沼にあり、当初はわずか20床から始まったそうです。それが平成8年1月に産科棟の新築に伴い、産科病床を2床増床し、6月にホスピスを14床設けました。さらに平成11年5月の創立70周年に合わせてホスピスの増床工事が完成し、合計186床となった。
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 井伏鱒二は1898年(明治31年)2月15日、加茂村粟根89番邸(現・福山市加茂町)で生まれた。井伏は年少の頃、『私は体質が弱いといふので八つ(数え年)から学校にあがることになった』そうである。そして、その年初めて海を見て、また偶然ではあるが、一尺ぐらいあるチヌ(黒鯛)を釣り上げた。釣り好きで知られる井伏だが、この時の体験が井伏を釣り好きにさせたのかもしれない。
 また、井伏は太宰を釣りへ誘ったこともあり、『荻窪風土記』に書いている。

『この日、私は太宰を連れて善福寺川の釣場へ行ったが、何もかもお話にならなかった。ガード下の洗ひ場でも、その下手の薪屋の堰でも釣れなかった。餌は、西隣の上泉さんが庭の隅に飼つてゐる縞蚯蚓だが、丹念に振込んでみても手応へがなかつた。川の水が魚を生かして置く力を無くしたのだらう。この川はもうお仕舞だと思った。』

 釣れなかったらしい。どうやら場所が悪かったようだ。井伏は何かと太宰の世話をして可愛がった。処女創作集『晩年』も祝ってくれた。パビナール中毒で苦しみの中を彷徨っていた時も心配し、病院へ入院させた。甲府で石原美知子を紹介し、お見合いをさせたのも井伏であった。そして、井伏夫妻の媒酌によって行われた結婚式は、なんと井伏宅で行われたのだ。太宰が亡くなった際、弔辞を読んだのも井伏であった。

 『荻窪風土記』を刊行したのは、昭和57年11月。60有余年住み親しんだ荻窪を自身の体験したことなどを交えながら、そこに息づく人々との風土記を作品化した作品だ。
 また、昭和60年10月から翌年10月にかけて『井伏鱒二自選全集』を刊行。平成3年4月には、『文士の風貌』を刊行。
 
 そして、平成5年7月10日、午前11時40分。愛した荻窪の地、東京衛生病院にて永眠。95歳であった。衛生病院の敷地内には天沼教会もある。
 
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 死ぬ間際、どんな思い出の日を回想しただろう。太宰と過ごした日々も思いだしただろうか。きっと空の上で、太宰と一緒にお酒を飲んだりしているのではないでしょうか。


by dazaiosamuh | 2014-06-09 21:28 | 太宰治 | Comments(0)