2014年 05月 21日
太宰治の住んだ町 荻窪紀行 №2 鎌滝富方跡
照山荘アパート跡の次に私が向かったのは、鎌滝富方跡だ。
昭和12年の6月21日、太宰は杉並区天沼一丁目二百十三番地の鎌滝富方に、『蒲団と、机と、電気スタンドと、行李一つ』で、転居している。
それでも、一応、鎌滝跡のあったであろう場所を見つけることができた。
太宰が居たこの鎌滝には、いろいろな人が集まっていたらしい。檀一雄や緑川貢、大学生などの文学青年たちもよく来た。山岸外史は、この時の太宰を訪ねたとき、よく連れだって、原っぱなどを散歩した。当時はこの付近にはまだそんな場所が残っていたようだ。檀一雄と三人で散歩したこともあった。
また、山岸はこの鎌滝で太宰と一緒にお風呂に入ったこともあった。
『山岸君もはいらんかネ』
そう言われ一緒に入った山岸は太宰の思わぬ毛深さに驚く。
『ぼくは、太宰の肉体をこれほど目近くみたのははじめてであった。銭湯では、かえって気がつかなかったが、太宰は偏平胸みたいに胸が平らで瘠せていた。雲助みたいな胸毛がかなり生えていた。
「君は、なかなか毛深い方なんだネ」
ぼくがいうと、
「うん。アイヌの血が入ってるのじゃないかと思ってる」
太宰はその胸毛を自分の指先で引っぱってみせたりした。』(「人間太宰治」 山岸外史)
太宰が井伏鱒二と一緒にお風呂に入っている写真があるが、特に太宰の胸毛が濃いとは思わなかったがどうなのでしょう。
この鎌滝に住んでいた頃も、太宰は阿佐ヶ谷「ピノチオ」での将棋会に参加。出席者16名、太宰は四勝九敗であった。これが昭和13年6月7日で、さらに、翌月7月12日でも将棋会に参加した。出席者10名で、四勝五敗であった。
山岸外史によれば、この鎌滝の下宿は相当ひどい部屋であったようだ。『この下宿というのは、たしかにひどく古くなった下宿で太宰の住んだことのある部屋のなかでは最もわびしい室であった。』(「人間太宰治」 山岸外史)
どれだけ侘しい部屋だったのか、見てみたかったですね。それにしても、太宰は結果だけ見れば、将棋は弱いほうだったのでしょうか。それともお相手達が強すぎたのでしょうか。
次回は、荻窪紀行ではなく別の記事を書くつもりなので、ご了承ください。
「鎌滝」「寿館」の読み方がわからずコメントいたしました。
「かまだき」「ことぶきかん」でよろしいのでしょうか。
お手数ですが、お教えいただけると幸いです。
ブログへコメントするのが初めてでしたので、うまくできるか心配でしたが、回答をいただけてとてもうれしいです。
今まで太宰作品はあまり読んでいませんが、仕事でいろいろ調べるうちに興味がでてきました。
これから少しずつでも読んでいきたいと思います。
どうもありがとうございました。
私は趣味で、気ままに太宰のゆかりの地をまわっている者です。
これをきっかけに太宰に興味を持って色々と太宰作品関連を読んでもらえると嬉しいです。
できる限り調査しているつもりですが、ときには記事の内容が間違っている場合もありますので、ご了承ください。